2022年11月1日火曜日

「大正時代のいわき」展

                                
 金曜日(10月28日)にいわき総合図書館へ行くと、今年度(2022年度)の後期企画展「大正時代のいわき」が始まったばかりだった=写真上1(解説資料)。これはぜひ見ないと。

 「いわきの文学」をテーマに、主に大正時代のいわきの詩風土について調べている。社会・経済を含めた広い文脈のなかで、いわきの100年前の姿が、文化が見えてくるかもしれない、そんな期待があった。

 なぜ大正時代のいわきなのか。100年単位で物事を考えれば、大正時代がちょうど100年前に当たる。これに尽きる。

 私自身、いわきの詩風土を調べる過程で100年前のいわきを強く意識するようになった。『洟をたらした神』で知られる作家吉野せいも、その風土の中で文章を書き始めた。

 いわきの100年前について書いたブログがある。それを要約する。――2012年、明治から大正に改元されて100年になった。「大正100年」である。いわきがらみでいえば、山村暮鳥が磐城平に赴任して100年でもある。

2014年は第1次世界大戦勃発から100年。2017年はロシア革命から100年、2018年は米騒動から100年。関東大震災は2023年に100年を迎える。

 関東大震災について、いわき地域の活字メディアがどう伝えたかを、図書館のホームページを開き、電子化された当時の地域紙でチェックしたことがある。

 大正12(1923)年の新聞は、残念ながら「常磐毎日新聞」の11、12月分しかない。発災から2カ月ばかりあとの11月8日付(実際は7日の夕刊)――。平駅(現いわき駅)の10月の運輸状況について、貨物は発送増・到着減、震災地往来の乗降客は減少、と伝える。

 11月13日付には、出版界も大打撃を受け、災害前に500余種あった雑誌は約3分の1に淘汰(とうた)された、単行本は講談社の『大正大震災大火災』が50万部も売れたとある。もちろん全国で、だろうが、すごい売れ行きだ。石城郡への震災避難者は1759人という記事も=12月11日付(以下略)――。

 「大正時代のいわき」展では、いわきの大正時代・まちなみ・くらし・ひとびと・娯楽・教育の項目ごとに、絵ハガキや写真を通じて当時の様子を紹介している。最後の項目は文学。暮鳥を軸にした詩風土に触れたのは、当然というべきか。

日曜日(10月30日)に夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、草野心平記念文学館を訪ねた。「萩原朔太郎大全2022―詩の岬―」展が開かれている=写真上2(チラシ)。ここでも朔太郎の盟友・暮鳥の磐城平時代が紹介されている。

ポイントは「大正時代のいわき地域が、口語自由詩が確立されていく現場であり、詩壇の最先端であった」ということ。タイトルに「詩の岬」とあるゆえんだ。

文学館と図書館の企画テーマが偶然、重なった。文学館の企画展のコーナーに図書館の解説資料を、図書館の企画展コーナーに文学館のチラシを置くだけで「相乗効果」が期待できる。両方を行き来すれば、100年前のいわきについての理解がより深まるはずだ。

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