ウクライナの戦争避難民はどのくらいいるのだろう。ネットで検索したら1000万人以上だった(英国BBCの4月時点での解説)。原発震災では、避難民はピーク時で16万人余だった。けた違いの数字だ。
その中の一家族3人(夫は戒厳令と総動員令のために国内にとどまらざるを得なかった)が、戦争勃発からブルガリアの小さな街へたどり着くまでの、ざっと24日間を絵と文章でつづった『戦争日記――鉛筆一本で描いたウクライナのある家族の日々』(河出書房新社、2022年)=写真=を読んだ。
著者はハリコフ(ハルキウ)で生まれ、ハリコフで暮らしていた、絵本作家でイラストレーター、アーティストのオリガ・グレベンニクさん、38歳。
渡辺麻土香、チョン・ソウン訳/奈倉有里ロシア語監修とあるのは、韓国語版を日本語に訳して出版したからだ。
原文はロシア語で書かれている。ロシア語監修者の「解説」でそのへんの事情が明かされる。
ウクライナではウクライナ語話者とロシア語話者が共存している。著者の母語はロシア語である。
母語で書いているので、地名も「ロシア語(ウクライナ語)」、たとえばハルキウは「ハリコフ(ハルキウ)」と表記される。
「わたしは民族で人を分けない。人を定義するのは、民族ではなく行動だからだ」という信念に基づく。これは全くその通りだろう。
国のリーダーの頭が戦争に支配されていたとしても、その国の言葉まで唾棄するものではないのはもちろんだ。それをこの「絵日記」が教えてくれる。
本そのものはざっと135ページと薄い。ロシアの侵攻が始まった2月24日からマンションの地下室暮らしが始まり、避難を決意して西のリヴォフ(リヴィウ)経由でワルシャワ(ポーランド)へ脱出し、さらに著者のブログのフォロワーの招きでブルガリアへ移動して小さな街にたどり着く。
いつ、どこでどうなるかわからない、その非常時の瞬間、瞬間が鉛筆でスケッチブックに描かれる。
ある日突然、戦争が降ってきた。そう、ある日突然、巨大地震と大津波が押し寄せ、原発事故が起きたように。
『戦争日記』を読みながら、東日本大震災と原発事故直後の恐怖と不安、その後の心的変化がよみがえった。
もともと絵本作家だということもあるのだろう、著者は非常時に自分を律する手段として、鉛筆で絵を描き、文字をつづった。
「わたしは恐怖と不安をどうにかして振り払おうと、スケッチ用のノートと鉛筆を家から持ってきていた。絵を描く行為はいつも『感情』のコントロールを手伝ってくれた」
私の経験を持ち出すまでもないのだが……。あのとき、3月11日午後2時46分から、「感情」をコントロールする意味だけでなく、個人と社会の「その後」を記録する意味でも「震災記」を書き続けている。ウクライナの戦争日記に共感するゆえんだ。
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