「詩人萩原朔太郎の孫」「作家萩原葉子の息子」といわれるのが嫌で、文学とは異なる世界に身を置いてきた。
寺山修司が主宰する演劇実験室・天井桟敷に俳優として参加し、その後、同劇団の演出を担当する。さらには映像の世界に転じ、雑誌「ビックリハウス」の編集長も務めた。
しかし巡りめぐって、平成28(2016)年4月、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち前橋文学館の館長に就く。
11月13日の日曜日、いわき市立草野心平記念文学館で企画展「萩原朔太郎大全2022―詩の岬―」の記念講演会が開かれた。
萩原朔美前橋文学館長が、「私が出逢った詩人たち―草野心平さんの思い出―」と題して話した。冒頭の経歴は講演用のチラシ=写真=から引用した。
前橋文学館は、原稿などの朔太郎資料が全国一の質量を誇る。朔太郎没後80年を記念する企画展「萩原朔太郎大全2022」には、全国で50を超える文学館や図書館、美術館、博物館、大学などが参加した。前橋文学館の企画に各施設が賛同したということだろう。
しかも、各施設は固有のテーマを通じて朔太郎やその土地の文学などを紹介している。草野心平記念文学館は、朔太郎の盟友・山村暮鳥の磐城平時代を取り上げ、両者に橋を架けた。
ポイントは「大正時代のいわき地域が、口語自由詩が確立されていく現場であり、詩壇の最先端であった」ことに尽きる。タイトルに「詩の岬」とあるゆえんだ。その詩風土から詩人草野心平が生まれた。
萩原館長は冒頭、田村隆一の詩行「ウィスキーを水でわるように/言葉を意味でわるわけにはいかない」を引用して、散文と詩の違いを説明した。
散文は言葉が手段、詩は言葉が目的――。水割りをつくるように、「意味」で「言葉」を薄めてはならない。むしろ、言葉と言葉が衝突して火花を散らす、その明滅にこそ詩のいのちがある、ということだろう。
典型例として、萩原館長はいわきの企画展でも紹介されている暮鳥の「囈語(げいご)」に触れた。バラバラにして紹介する。
「強盗喇叭」「殺人ちゅりつぷ」「放火まるめろ」「誘拐かすてえら」……。上2文字は刑法の罪名、それに続く言葉は身近な動植物や食べ物、楽器などだ。意味の連なりではなく、異質なものが結びつくことで、今までになかったイメージが現出する。
詩人に関しては、心平を中心に西脇順三郎や嵯峨信之、黒田三郎など、自分が出会った人たちの話をした。
心平とは、子どものとき、母・葉子に連れられて初めて会った。背中に何枚も膏薬(こうやく)を張ってやった。後年、凧(たこ)を天の膏薬に見立てた心平の詩を読んで、確かに「そうだ」と納得した。
バー「学校」(2代目)に行き、心平たちの同人誌・歴程祭に顔を出し、3分スピーチにも参加した。
最後に、心平の詩「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」の1行「死んだら死んだで生きてゆくのだ」を紹介した。萩原館長に限らない、これこそが詩の力、生きる励みになる言葉といっていい。
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