震災後では初めて、擂鉢(すりばち)を取り出した。10月9日、カミサンの実家の庭で山椒(さんしょう)の実を摘んだ。乾燥させて黒い種を取り除き、10月最後の日に赤い果皮を擂りつぶした。
前にも書いたが、きっかけは友人からの電話だった。裏山に山椒の実がいっぱいある、粉山椒にするにはどうするんだっけ――。カミサンの実家の庭で山椒の実を見た瞬間、おれも粉山椒をつくろう、そう思った。
震災前も長い間、擂鉢から離れていた。これをよく使ったのは30代のころだ。秋から冬、唐辛子で一味を、山椒の果皮で粉山椒をつくった。
20代の後半から山菜や木の実、キノコを採るようになった。調理はカミサンに頼むにしても、下準備はしないといけない。
山椒はそのなかでも手間がかからなかった。春の木の芽は摘むだけ。夏の青山椒はゆでて塩を振るだけ。秋の実山椒は擂りつぶすだけ。それで独特の香りと辛みのある薬味になる。これほど重宝な自然の食材はない。
そもそも粉山椒をつくろうと思い立ったのは七色唐辛子、いわゆる七味の一つにするためだった。
京都の七味には粉山椒が入っている。おみやげにもらったとき、なるほどと思った。土地によって七味の中身は異なる。いろんな組み合わせがある。自由でいいのだ、と。
で、30代後半には「磐城七味」づくりに熱中した。胡麻(ごま)の代わりに荏胡麻(えごま)、青海苔はできればいわきの浜でできたものを、そして地場産の蜜柑(みかん)ないし柚子(ゆず)の皮、粉山椒を加えれば、立派なご当地七味ができる。
不思議なもので、擂鉢に山椒の赤い果皮を入れ、同じ山椒の擂粉木を回しているうちに、若いころの記憶がよみがえってきた。
乾燥させている段階で黒い種をよける、というのははっきり記憶に刻まれていたが、果皮を擂りつぶしている過程で果皮の内側についている白い“姫皮”がはがれて粉に混じる。
ああ、これは目の細かい金網ボウルで粉と皮を分けたんだっけ――そんなことを思い出して、茶こしを使って振り分ける=写真上1。
そうして残った粉はどのくらいあるかと見れば、微々たるものだ。それはしかし、最初から分かっていたことだ。
たまたま七味の小瓶が空いたので、それに入れることにしていたが、どこかにまぎれこんでしまった。しかたがない、味塩の空き瓶がある。それに粉山椒を入れた=写真上2。
七味の小瓶にこだわったのは、振りかける穴が一つしかないこと。これに対して、味塩の方は小さな穴が七つもある。これでは一度に振る量が多くなる。それを敬遠したのだが、静かに小瓶を振るしかない。
ま、それはともかく、けんちん(豚汁)が出たときには、普通の七味にこの粉山椒を振って、香りと辛みを楽しむことにしよう。
そしてこれは蛇足だが、姫皮は捨てずに、糠床に入れた。それだけでも風味が増す。黒い種も発芽するかどうかはともかく、庭木の下にまいた。
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