2022年11月12日土曜日

季語から考える

                      
 用があって後輩の家へ行ったら、目の前の農園に案内された。広いので一部を市民に貸している。栽培者からは「いつでも採っていいですよ」いわれているそうだ。

 ちょうど栽培者がいた。大根を2本、紫大根とニンジンを数本、引っこ抜いて、「どうぞ」という。ありがたくちょうだいした。

 私はいわき昔野菜保存会に入っている。栽培者も保存会の会員だという。面と向かって話したことはない。お互いに「初めまして」といった感覚で接した。

 後輩の家の敷地は南北に長い。母屋をはさんで南に農園と果樹園、北にも広いスペースがある。

 大阪から“単身帰農”をして、先祖伝来の田畑を守っている。といっても、チャレンジ精神は旺盛だ。海外生活が長かったので、中南米その他の野菜や果樹の栽培にも挑んでいる。

 スイカやトウガン、メロン、落花生(おおまさり)、マクワウリなどのほかに、アーティチョークやズッキーニ、パパイア、ハバネラ、ハラペーニョなどもつくる。果樹園には甘柿、ユズ、フェイジョアなどがある。

 で、今回は栽培者の野菜のほかに、後輩が甘柿と柚子(ゆず)を摘み、落果したフェイジョアを分けてくれた=写真。フェイジョアは自然に落果したものを追い熟させてから食べる、とネットにあった。どんな味がするかは、これからのお楽しみだ。

 アーティチョークもパパイアも食べたことがなかった。後輩に教わり、ネットのレシピを参考にしながら調理した。ここ何年かは、こうして未知の食材と向き合う機会が増えた。

 西洋の野菜や果実を口にするたびに、旬を確かめる。日本の野菜や果物もそうだ。基本になるのは「俳句歳時記」。今がどんな季節なのかを知る手がかりになる。

 新聞記者になってほどなく、他社の先輩記者に「『俳句歳時記』を読むように」といわれた。なぜなのかは、そのときはわからなかったが、コラムを書くようになって納得した。

人は季節の移り行きの中で暮らしている。新聞もまた社会を、季節を映し出す鏡だ。読者と共にある以上は、季節には鈍感でいられない。記者は歳時記を手放せない、ということになる。

そもそも歳時記は自然と人事を季節ごとに整理したものだ。江戸時代までは陰暦だったが、明治になって太陽暦が採用されたため、新しく「新年の部」を加えて立春を2月におき、1カ月遅れで調整したものが現在の歳時記の主流になったそうだ(ウィキペディア)。

 それに従うと、季節感がわりとはっきりする。先日、後輩からもらったものも含めて野菜などの季語を見ると、サツマイモは仲秋、ユズ・甘柿は晩秋、大根は冬になる。

フェイジョアは、季語には入っていない。が、普及すれば、花は夏、実は秋の季語に入ってくるのではないだろうか。いずれにしても、食べ物と季語から冬の近いことを知るのだった。

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