同賞では、選考委員が応募作品のすべてを読む。月遅れ盆のころに読み始め、8月いっぱいをそれに充てる。その後、記者会見と表彰式に出る。表彰式がすんで、今年(2022年)の仕事が終わった。
コロナ禍前は、受賞者が表彰式のリハーサルを終えたところで昼食を共にした。作者とじかに顔を合わせて話をする唯一の機会だ。
ユニークな発想、あるいはおもしろい比喩がある。それはどこから生まれてくるのか。会食しながら、個人的に感じた興味や印象を伝える。すると、また違った答えが返ってくる。得難い情報交換の場だ。
今回は、準賞を受賞した半澤りつさん(好間町、73歳)の小説「辿(たど)り道」に出てくる、あるエピソードについて半澤さんと語り合いたかった。
半澤さんは双葉郡葛尾村で訪問介護員(ホームヘルパー)の仕事をしていた。その実体験を小説化した。6人のお年寄りが登場する。
そのなかの一人、浪曲を語る木村フミの娘時代の話。「ドサ回りの浪曲師」の一人に「今テレビで歌っている『三波春夫』がいた」。
この国民的歌手がデビューするのは昭和30年代、そしてテレビが地方に普及するのはそのあと。フミの娘時代は、それから逆算して戦前ということになる。
「毎日のように聞きに通うフミをその人は見初めたのである。だが相手は売れない旅芸人であったがためにフミの両親は猛反対をした」
フミの話を興味深く聞いていたホームヘルパーは、すぐ三波春夫とフミの長男が同年代であることに気づく。「フミにとって初恋であったかも知れないその人は、いつから三波春夫になってしまったのか」
同じエピソードが鎌倉岳をはさんだ葛尾村の西、田村郡(現田村市)常葉町にもある。昭和32(1957)年に「チャンチキおけさ」と「船方さん」が大ヒットすると、子どもだった私の耳にも、若いときの三波春夫と町の娘の恋の話が入ってきた。
旅芸人が演じる芝居や浪曲は、地方の人間にとって数少ない娯楽の一つであり、憧れの対象でもあった。
この「悲恋」は願望と現実の落差の中で生まれたものだったのかもしれない。民俗学でいう「都市伝説」ならぬ「田舎伝説」だった、そんな思いがよぎる。
「辿り道」を読んで、ふるさとの「悲恋」を“検証”してみたら、やはり三波春夫が若すぎる。三波春夫ではない浪曲師との悲恋が、いつのまにか三波春夫に収斂してしまったらしい。
半澤さんの話に戻る。原発震災を受けて、葛尾村は全村避難を余儀なくされた。半澤さんも避難民となり、今はいわき市に住んでいる。平成29(2017)年に奨励賞に選ばれたノンフィクション「母と私の6年間」でそのへんの事情を知った。
その後の精進が実っての準賞だ。葛尾村役場の広報担当員が取材に来ていたから、村の広報紙にも載ることだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿