2022年11月16日水曜日

河林満作品集

                               
 もう10日以上前になる。いわき市立草野心平記念文学館で吉野せい賞の表彰式が行われた。そのあと、仙台在住の作家佐伯一麦さんが「厄災と文学」と題して講演した。

前振りとして、吉野せいの「春」に触れ、いわき出身の作家河林満さん(故人)の招きで、彼が主宰する「文藝いわき」で講演したことなどを語った。まずはその話を。

「文藝いわき」での講演は同誌第5号(2002年春)に載る。いわき中央図書館から借りて読み、さらに去年(2021年)11月10日に発刊された川村湊編『黒い水/穀雨 河林満作品集』(インパクト出版会)があることを知って、それも借りた=写真。

「文藝いわき」の講演は、「文学の豊かさを考える」と題して、河林さんが佐伯さんと対談するかたちで行われた。

 河林さんは立川市役所に勤務しながら創作活動を続け、「渇水」で文學界新人賞を受賞した。この作品と「穀雨」で2回、芥川賞候補になった。

 36歳のときに「海からの光」(のちに「海辺のひかり」と改題)で吉野せい賞奨励賞を受賞し、後年、同賞選考委員も務めた。

 河林さんは幼い時に母親を亡くしている。対談のなかで、私はこの土地に生まれて亡くなった母親のことを考えることから小説を書き始めた――と語り、佐伯さんも小さいころ、男に襲われた体験を踏まえて、それを書くことによってトラウマから自由になれた――などと応じた。

私が河林さんを知ったのは、平成8(1995)年に同人誌「文藝いわき」が創刊された前後だったように思う。

後年、朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」(1999年1月号)に、小説「ある護岸」を発表した。その年、たぶん吉野せい賞の選考委員会が終わったあと、河林さんが「ちょっと時間がたちましたが」と、雑誌を携えてわが職場にやって来た。

鮫川で溺れ死んだいとこの33回忌に佐糠町を訪れた「わたし」は、鮫川べりに立つ水難供養塔に出合う。供養塔には廃仏毀釈によって捨てられた墓石を川岸に沈め、護岸強化が図られた、といった意味のことが彫られてあった。そこからさらに物語が展開する。

作品の末尾に参考文献として、いわき地域学會の『鮫川流域紀行』が紹介されていた。私がいわき民報社に勤めていたころ、同学會の協力を得て連載したのを本にまとめた。「墓石護岸」の話を聞いて、同書を進呈したのではなかったか。

平成10(1998)年には立川市役所を退職し、以後、ヘルパーやガードマンの仕事をしながら小説を書き続けた。平成20(2008)年1月、脳出血のため急逝。享年57――訃報に接して、晩年は苦闘の連続ではなかったか、という思いを禁じ得なかった。

私が読んだ河林作品は、「ある護岸」のほかには「渇水」「穀雨」「海からの光」と少なかった。

『黒い水/穀雨 河林満作品集』には、いわき出身の明治の歌僧天田愚庵を取り上げた「我が眉の」がある。鮫川が流れる「月明りのなかで」や「卒塔婆を売る男」もある。やっとそれらを読むことができた。

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