2022年12月21日水曜日

川瀬巴水の額絵

                     
 図書館から『川瀬巴水探索――無名なる風景の痕跡をさがす』(文学通信、2022年)を借りて読んでいると、カミサンが同じ版画家の作品を印刷した額絵を引っ張り出してきた=写真。

 全国紙の販売店が購読者サービスとして配ったものだという。同じ印刷物でも本よりはるかに大きいB4サイズだから、作品の隅々まで細かくチェックできる。

 川瀬巴水(1883~1957年)は浮世絵版画を復興し、「新版画」を確立した近代の版画家だという。大正・昭和期に日本各地を旅し、写生した風景作品を基に版画を制作した。「アップル」の共同創業者の一人、故スティーブ・ジョブズが子どものころ、巴水版画に出合い、影響を受けたことでも知られる。

『川瀬巴水探索』は、お隣の茨城県人で組織する「川瀬巴水とその時代を知る会」が編集した。

「旅する版画家」が茨城を訪れ、平潟や五浦のほかに水木(日立市)、水戸・大野、磯浜(大洗町)、潮来などで写生した。その作品が描かれた場所を、茨城を中心に探索し、当時を知る人に話を聞いたり、現在の様子を報告したりしている。

「平潟東町」は昭和20(1945)年に摺(す)られた。巴水が訪れてスケッチしたのは前年の11月11日。平成23(2011)年3月11日の東日本大震災の津波で、当時をしのばせるものは何一つなくなった。が、ツテを頼って当時を知る人に会い、話を聞くことができた。

 それを踏まえて版画の構造的な分析に入る。見た目は1軒の家のようだが、実際には4軒の家が描かれている。その家にまつわる生業(「鮟鱇鍋発祥の家」=食堂など)がわかってくる。

 さらに、スケッチにはなく、版画に加えられたものに、筒袖の着物姿の女性がいる。当時の別のスケッチには、たらいで水洗いをするもんぺ姿の女性が描かれていた。

もんぺ姿を筒袖の着物姿に変えたのは、「終戦によって戻った日常の安堵感を表したのだろうか。または、このような平安な日常であってほしいという巴水の想いなのだろうか」と担当筆者は推測する。

 新聞販売店の額絵シリーズは、全国紙らしく地域的なかたよりはない。芝(東京)の増上寺は巴水が生まれた新橋から近い。

「芝増上寺」(大正14=1925年)は、関東大震災後の東京を描いた「東京二十景」の一つで、最初に制作された。

雪が降っている。増上寺の赤い「三解脱門」の前の道を、和傘をさした着物姿の女性が歩いている。意外と派手な感じのする版画だ。

新版画は欧米で人気が高いらしい。ジョブズはしかし、別の意味で巴水版画のとりこになった。

彼が好んだのは「芝増上寺」のような、いかにも日本的情緒をかもしだすものではなく、地味で寂しい風景だったという。ジョブズのコレクションと額絵で重なるのは「西伊豆木負」「上州法師温泉」だけだった。

ジョブズの考える美の原点は「究極のシンプルさ」だったという。その美意識の萌芽期に出合った巴水版画が、生涯、ジョブズのなかに生きていた――そんなことに思いがめぐった。

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