2022年12月1日木曜日

コロナがそこまで

 山道を通ると、広葉樹はあらかた葉を落として、遠くまで見通せるようになった=写真。もう師走。街の中ではジングルベルの音楽が聞こえる。

 コロナだけでなく、インフルエンザの感染も心配される時期を迎えた。同時流行に備えて、それぞれのワクチンを早めに接種するよう、国が呼びかけている。

 義弟の付き添いで医院を訪れたカミサンが、医院の勧めで義弟と同時にインフルエンザのワクチンを接種したという。

 コロナの方は、カミサンに5回目の接種券が届いている。私と義弟は、4回目が9月30日で、オミクロン株対応の新しい2価ワクチンだった。

 コロナの第7波まではまだ「距離感」があった。メディアが伝える感染者数は、統計数字でしかなかった。

 そこからは、この人あの人という具体的な人間の姿は立ち上がってこない。いや、一人いた。海外を旅行中に家族で感染し、現地に留め置かれた。その連絡がきた。しかし、周囲にはり患した人がいない(そういう情報がない)。それが、コロナが遠かった大きな理由だろう。

 ところが、10月以降はちょっと違ってきた。わが生活圏、あるいは交流ネットワークのなかでも、「コロナにかかった」という話をじかに聞くようになった。

 地域の仕事の関係で期限がきても連絡の取れない人がいた。ゆるやかなつながりだが、ときに対面して集めたお金を数えたりしないといけない。「コロナにかかったので身動きが取れなかった」という。コロナがすぐそこまできていることを知る。

 ときどきわが家へ来る友人が、用があって電話をかけてきた。そのついでに告げる。「コロナにかかった、症状は軽いけど」

 義弟が通っている施設からも電話が入った。「コロナにかかった人がいるので、施設を〇日まで休みます」。義弟のPCR検査も実施するという。

 指定された日時に義弟を乗せて施設に出かける。施設の外で、防護服を着たスタッフが車に乗ったままの義弟の鼻に、綿棒のようなものを突っ込んで粘液をとる。

 結果は翌日夕方、電話で知らされた。「マイナスでした」「ということは陰性?」「そうです」。こわばった気持ちがほぐれる。

コロナにかかったら、人には会えない。店も開けられない。それが1週間で終わるのか、10日もかかるのか。「濃厚接触者」ということで、いろいろ連絡を取らないといけない人も出てくるだろう。

連絡を受けて以来、コロナ感染を前提に、あれはどうする、これはどうすると、頭の中でシミュレーションを繰り返した。

たまたま今回は陰性だったにすぎない。これからコロナにかからないという保証はない。4回目のワクチン接種をすませたからといって、コロナを甘く見てはいけない。

  同時に、コロナは誰でもかかる、限りなくインフルエンザに近づいている――そんな思いにもなる。 

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