故義父が建てた夏井川渓谷の隠居へ行くようになって四半世紀がたつ。現役のころは土曜日の午後に出かけて一泊し、日曜日にJR磐越東線の一番列車でやって来るカミサンを最寄りの江田駅まで迎えに行った。
今は泊まることはない。日曜日に出かけて、その日のうちに戻って来る。週末の「半住民」から、日曜日の「定来者」に替わった。
平成28(2016)年8月初旬、同級生4人でサハリン(樺太)とシベリア大陸(ウラジオストク)を旅したとき、ロシアには「ダーチャ」というものがあることを知った。
ガイド氏によれば、家庭菜園付きのセカンドハウスだ。庶民が当たり前にダーチャを持っているという。
あとで、ネットで調べてブログに書いた。それを要約する。――ダーチャは、第二次大戦後の食糧不足対策として市民に土地を与えるよう、州政府や国に要求する運動が起きたのが始まり。ピョートル大帝が家臣の貴族たちに菜園付き別荘を下賜したことに由来するそうだ。
広大な平原を貫く道路の左右にときどき集落が現れる。なかには都市部の市民が週末を過ごすダーチャ群だったりする。特に夏場は盛んに利用される。
ダーチャという言葉が4人の脳髄に染みた。夏井川渓谷の隠居に仲間が集まって飲み会をやる。その隠居がまさしく「ダーチャ」だと――。
これは、最近の話。カミサンに言われて堤純子『アーミッシュの老いと終焉』(未知谷、2021年)=写真=を読んだ。
75歳(男性)の死生観に共鳴した。「今は人生の夕暮れ時だ。おとなも子どもも、朝に一日を軽快にスタートさせても、夕方になると疲れてくる。人生も同じだよ」「私たちの人生も、夕陽の残光が消えて夜が訪れると、永遠の休息の時を迎える」
農業を基本に、現代文明とは一線を画した暮らし、そして確固としたコミュニティと人間のネットワーク。中でも強く印象に残ったのが、子どもから大人になる間の「ラムシュプリンゲ」という猶予期間だ。
若者はこの間、アーミッシュ社会から解き放たれて、街の空気に触れる。酒もたばこもやり、免許を取って車も運転する。ダンスパーティーやライブハウスにも出入りする。
それを続けているうちに葛藤が生まれる。何かが違う、何をしても落ち着かない。自分を持て余しながら家に帰ったとき、若者は気づく。
「土の匂い、草や家畜の匂い、どれも僕にとって『空気』なんだ。街の暮らしは、その『空気』がないから落ち着かないんだってね」。それに、周りにいるのはよく知った人たちばかり。畑にいても、歩いていても声がかかる。「自分の居場所という気がするんだよ」
アーミッシュは時代遅れの、取り残された集団という偏見が氷解した。ラムシュプリンゲによって覚悟を決めた若者が帰還し、アーミッシュとして生きる。彼らの人口は右肩上がりで増えている。
ダーチャは「もう一人の自分」に帰る場所であり、アーミッシュは共助や結い、老いの安心、自然との共生などを思い起させる世界、ともいえるか。基盤は慎ましい農の営み。
0 件のコメント:
コメントを投稿