2022年12月24日土曜日

一陽来復

                       
 師走に入ると、すぐの“異変”だった。夏川渓谷の隠居で土いじりをしていると、青く小さな花が咲いていた=写真。オオイヌノフグリではないか。

 いつもだと、年が明けた春先、ポツン、ポツンと青い小花を咲かせるのだが、この冬は師走のうちに狂い咲きをした。11月にきつい寒波がきた。それが緩んで春機が発動したのだろうか。

 これは「春のめざめ」とかいうものではない。一般の人間の春機はいつ発動するのか、という自問でもある。

 12月22日は冬至だった。このごろ、私は元日より冬至に新しい年の始まりを感じるようになった。

 人間の新年は元日、自然の新年は冬至――。冬至には「一陽来復」の意味がある。冬至の日は、一番昼が短くて、一番夜が長い。しかし、この日を境に夏至の日まで、光が一日一日、長く明るく輝くようになる。

 夏井川渓谷の隠居で家庭菜園を始めてから四半世紀。土いじりを続けているうちに、旧暦を中心にした季節の移り行き、別の言葉でいえば「二十四節気」を思考の軸に据えるようになった。

 それを実感するのは、「立春」になって畑の凍土がゆるんだときだ。三春ネギの場合は、渓谷の住人から「播種は10月10日」と新暦で教えられたが、定植・採種・収穫はネギと「対話」しながら、という流れになる。

 併せて、数年前にはいわきの新しい観光の視点として、太陽の光と結びついた「レイライン」を学んだ。

 その一例として、冬至に昇った朝日が社寺を射抜くように照らす、という話を聞いて興味を持った。

それを4年前の冬至の朝(正確には曇天だったので、翌日朝)、いわきの中心市街地・平の西方高台にある子鍬倉神社の境内で確かめた。そのときの拙ブログの抜粋。

――境内に八坂神社がある。冬至の朝、拝殿と参道、鳥居を結ぶ線の先から朝日が昇る配置になっている。

神社から参道・鳥居のラインを確かめると、真ん中奥に大木が立っている。樹皮は杉に似る。常緑だが、下部は枝打ちされたためかすっきりとして、上部の枝葉だけが扇状に広がっている。

撮影データから時間を追う。6時22分、東の空は下部がほんのり赤みを増しているだけ。同54分、オレンジ色がさらに増し、大木のやや左、奥の木々の間で一部、白銀のように明度を増すところが現れた。

やがて、そこが黄金色に染まったかと思うと、赤々と輝き、光線が放射状に伸び始める。まさしく鳥居の真ん中から朝日が昇ってきた。「一陽来復」の生まれたての朝だ――。

 土いじりのほかにレイラインを体験した結果として、冬至の日を迎えると、「寒さ」はこれから厳しくなるが、「光」は日に日に明るくなる、つまりは一陽来復=新年がきた、という思いになる。

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