カミサンが実家にあった絵を、夏井川渓谷の隠居に飾った=写真。平の開業医だった、故後藤全久さんの小品だ。
赤茶、黄、黄緑色などの落ち葉を横に11枚並べた「ガラス絵」だが、形と色と配置になんともいえないリズム=音楽を感じる。
同じ色合いの落ち葉に柿がある。わが家の庭の柿の木は、今は葉も実も落としたが、その葉は紅葉の具合が1枚1枚違う。葉はやや厚め。1枚の葉に朱色や黄色、茶色がまじり、黒い斑点ができる。
柿らしい葉は、11枚の中にはない。葉の形と色から樹種を特定できる知識がないのが、なんとももどかしい。
後藤さんの絵がカミサンの実家にあるのは、たぶん故義父が所属していた任意団体「満月会」と関係がある。
満月の夜かどうかはわからないが、仲間が集まって飲酒と談論を楽しむ、という趣旨の会だ。後藤さんら開業医や自営業、会社役員などが名を連ね、義父は末端で連絡役などを務めていたらしい。
後藤さんがガラス絵を手がけていると知ったのはいつだろう。駆け出し記者のころ、警察のほかに草野美術ホールで開かれる展覧会を取材した。プロ・アマ問わずたくさんの画家と知り合った。そんななかで絵を描くドクターのことが耳に入ったのではないか。
結婚後、義父や義父の友人から満月会の様子をよく聞かされた。絵を描くドクター、後藤さんのことも話題に出ることがあった。
とはいえ、名前を記憶に刻んだものの、ガラス絵とはどんなものか、どんな作品なのか、までは全く興味がわかなかった。
隠居に飾った小品は、義父とは別のルートでカミサンの実家が所有するようになったものらしい。
後藤さんは平成2(1990)年秋、釈迦の十大弟子の慟哭を描いたガラス絵の画集『花と仏と人間と』を刊行している。図書館から画集を借りてきて、初めて作品と向き合った。
画集に寄せられた序文などによると、ガラス絵も油絵の一種だが、画布ではなく透明なガラスに絵を描く。
「技法は、一般の作画とは全く反対の工程になり、左右は勿論のこと、彩色も始めに着けた色が表面に出る。したがって、普通最後になるべきサインや、よく言われる画竜点睛のひとみから描き始める」(画集の序文=小松三郎)
鑑賞者は、描かれたガラスの反対側から絵を眺めることになる。といわれても、よくわからない。
が、ガラス絵の長所は、油彩のデコボコ感に伴う光の乱反射がないので、潤いのある発色が保たれることなのだとか。
確かに、落ち葉の絵をよく見ると、色が鮮やかで、全体的に幽玄な感じがする。音楽性だけでなく、奥深い絵画性も感じられる。
絵を飾って2カ月ほどがたつ。ガラス絵の技法を知って、やっとその魅力がわかりつつある、と言えるくらいにはなってきたようだ。
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