2023年4月9日日曜日

島の数


  国土地理院の電子地図をしょっちゅう利用している。主な目的は標高の確認だ。そこから実際の地形や景観を組み合わせて、水の流れや植生、人や物の往来を類推する。

 いわき市内でいえば、隠居のある夏井川渓谷とその周辺、平地のわが家の周辺、あるいは事故や事件が発生した場所を確かめるために利用する。

 その国土地理院が2月末、35年ぶりに日本の島の数を見直した結果、これまでの6852から1万4125に倍増した、と発表した。

測量技術が進歩したこと、地図の電子化で正確に把握できるようになったこと、などが理由で、周囲長0.1キロ以上の陸地を判断の対象にしたという。

 そもそも「島」とは何だろう。ネットで調べると、「水域に囲まれた陸地」とある。それだけではない。海洋法に関する国際連合条約では、「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」をいうそうだ。

 島の数を見直した結果、福島県の島は13から18になった。「島」より「小さな島」というイメージで「岩」や「磯」などの名が付けられた「島」もあるそうだ。それらを含めても、県内にはどんな島があって、どんなところが新たに島とみなされたのか――わが検索レベルではさっぱりつかめない。

 たまたまというべきか、年下の知り合いが2カ月にわたって四国と九州の島巡りをした。そのさなかに国土地理院の発表があった。彼も当然、そのニュースには接していた。

わが家へやって来たとき、「困窮島」の話をした。実態はわからないが、反射的に「山上がり」という言葉を思い出した。

哲学者の内山節さんが『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)と『「里」という思想』(新潮選書)の中で、人間の「山上がり」について書いている。群馬県上野村でのかつての話だという。

昭和30(1955)年ごろまで、「いろいろな理由から経済的に困窮してしまう村人がいた。こんなとき村では、<山上がり>をすればよい、といった」。

「<山上がり>とは、山に上がって暮らす、ということである。森に入って小屋をつくり、自然のものを採取するだけで、たいていは一年間暮らす。その間に働きに行ける者は町に出稼ぎに出て、まとまったお金をもって村に帰り、借金を返す。そのとき、山に上がって暮らしていた家族も戻ってきて、以前の里の暮らしを回復する」

後日、田辺悟『ものと人間の文化史175 島』(法政大学出版局、2015年)を読んで、困窮島が山上がりと同じ役割を果たしていることを知った。

 さて、いわき市の島といえば、照島である。東日本大震災で崩落し、台形から三角形に近い形になった=写真(2011年4月11日撮影)。

久之浜の波立海岸には「弁天島」がある。電子地図にはしかし、名前は出てこない。島とみなされていないのだろうか。福島の18の島はいったいどこにあるのか。


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