車で30分ほどの夏井川渓谷に隠居がある。庭は小学校の分校の校庭くらいに広い。ササがはびこっていた西側を開墾して畑にした。
それが、わが家庭菜園。野菜の栽培を始めた40代のころは、「少量多品種」をモットーにクワを振るった。今思えば、あれもこれもと欲張っていた。体力もあった。
50代を経て、60代に入ると東日本大震災と原発事故が起きた。庭の放射線量の測定が行われ、平均で毎時0.24マイクロシーベルトになった。
年間1ミリシーベルト以下であるためには、計算式に従って毎時0.23マイクロシーベルト以下でないといけない、というわけで、平成25(2013)年の師走、庭の全面除染が行われた。表土がはぎとられ、山砂が投入された。庭がまるで砂浜のようになった。
そこから土いじりを再開したものの、「少量多品種」を続ける気持ちはしぼんだ。この種は切らしたくない、そんな思いで昔野菜の三春ネギだけを栽培している。
あとは付け足し。カブやラディッシュなどをたまにつくったり、辛み大根を育てたりするくらいだ。
辛み大根は、途中からこぼれ種を利用するようにした。つまり、勝手に生えてくるのを待つ。耕さない。たまに肥料をやるだけ。それでも寸足らずの、ずんぐりした辛み大根ができる。
この冬は普通の大根のように長く太いものが2、3本混じっていた。普通の大根と交雑したのかもしれない。
三春ネギは平地のネギと違って秋まきだ。10月10日が播種日と教えられた。それを目安に、苗床をつくって種を筋状にまく。
寒さが増すともみ殻を敷き、真冬には「麦踏み」ならぬ「ネギ踏み」をした。苗床に霜柱が立てば根が浮きやすくなる。ネギ苗を踏んでまた土に閉じ込める。下仁田ネギではそうしていると知って、まねをした。
そうやって冬に耐え、春がくるとネギ苗はピンと立ち始める。周りのオオイヌノフグリやハコベも茎をのばす。
この3月は少し手を抜いてしまった。隠居へ出かけた3月18日(土曜日)が雨、8日後の同26日(日曜日)も雨。やっと晴れに恵まれた4月2日(日曜日)に見ると、ネギの苗床がハコベたちで埋まっていた。
都合3週間、畑から遠ざかっている間に、対岸のアカヤシオ(岩ツツジ)は満開になり、地面の草たちも勢いよく緑を増やした。
これではネギ苗も光合成ができない。なにはさておき、苗床の草むしりだ。できるだけネギ苗を引っこ抜かないようにしながら、草をむしり取っていく。そうやってなんとか苗床らしい姿に戻した=写真。
種採り用のネギはうねに残っている。こちらは早いと3月下旬にはネギ坊主の子どもが葉の根元に現れる。今年(2023年)は一気に春がきたというのに、ネギ坊主の子どもはまだのようだ。それがちょっと不思議といえば不思議だ。
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