2023年4月27日木曜日

続・牛小川の石碑

                               
 去年(2022年)の12月2日に「牛小川の石碑」というタイトルで、夏井川渓谷にある不思議な石碑の話を紹介した。これはその続編。

元中学校長先生の調査が進んで、『牛小川の石碑――五行相生(そうしょう)』と題する手製の報告書がまとまった。まずは、前に書いた「牛小川の石碑」の要約から。

――私が現役のころ、勤めていたいわき民報に「アカヤシオの谷から」というタイトルで、渓谷(牛小川)の自然と人間の話を連載した。36回目(2000年3月7日付)に、陰陽道にからむ石碑の話を紹介した。

その石碑を、元校長先生が去年10月、地元のKさんに案内されて見た。その後、石碑の拓本を取り、図書館や神社、寺などで調べたが、よくわからなかった。

そうこうしているうちに、図書館のレファレンスサービス担当者から、私がいわき民報に書いた連載コラムを教えられた。それからさらに調べを進めて、中間報告書をまとめた。

石碑は先端がとがった自然石(高さ約2メートル、中央部幅約75センチ)で、夏井川に注ぐ支流・中川の橋のたもとにある。そばをJR磐越東線と県道小野四倉線が走る。

元校長先生の調べによると、石碑は、前は磐越東線の計画地にあった。線路を敷設する際、そばの民地に移された。

石碑の中央には「木火土金水」、その両側にも字が彫られている。私がわかったのは大きな5文字だけだった。陰陽五行説と関係があるのではないか。そこまでは私も推測できた。

元校長先生は、そこからさらに調べを進めた。向かって左側の石碑の文字は、干支(えと)の「乙未」と「八朔」(8月1日)。さらに、その下にあるのは「正命」。大病や大けが、飢えなどで死ぬのではなく、天寿を全うすることを願ったものだろうという。向かって右側の方は、土中のも含めて9~10文字あるが、今のところ解読が困難だとか。

「木火土金水」を彫った石碑は、いわき市内ではほかに存在が確認できない。国内では、なんと沖縄市にあるだけだ。こちらは琉球王朝時代の明暦3(1657)年、「鳩目銭」の鋳造を記念して建碑された、とネットにある――。

 最新の報告書では、不明文字が解読され、沖縄市「池原の石碑」の詳細が紹介されていた。新たにわかった文字は「心頭在為 月明万心 似士并二」=写真。いわき地域学會の仲間が解読した。意味は残念ながら解説するまでには至っていない。

 「池原の石碑」については、沖縄市の図書館や地元公民館、小学校の助けを借りて、写真と市史のコピーを手に入れたという。

 石碑は湧水をせき止めた井戸の真上にある。鳩目銭を鋳造するにあたり、「井戸の水を使い、山の木を伐り出して木炭を作るなどしたため、アミニステックな自然の神々を慰撫する必要があったのであろう」と、沖縄市史の筆者は推測する。

 いずれにせよ、元校長先生の探求心には舌を巻く。文献を読み解くにしたがって、地元の伝説の人物「江田の伴四郎」とのかかわりを意識するようになったという。

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