「舞い踊る」というとき、すぐ思い浮かぶのはキノコのマイタケにまつわる逸話だ。奥山でマイタケを見つけたとき、人は喜びのあまり舞い踊った。それで、「舞茸(まいたけ)」という名が付いた。
最初からマイタケをあきらめている身としては、体ではなく心が躍るだけでいいと思っている。夏井川渓谷の隠居の庭でエノキタケを見つけたときがそうだ。
この冬はそれなりに収穫があった。家に持ち帰り、水につけてごみなどを洗い落とし=写真、みそ汁の具にした。舌が喜んだ。
なぜこんなことを書きだしたかというと、野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が世界一に輝いたからだ。優勝を決めた瞬間、選手たちがグラウンドでぴょんぴょん跳びはねて喜びを分かち合った。
幼い子はうれしいことがあると、ぴょんぴょん跳びはねる。つまり、体で喜びを表現する。私はマツタケやマイタケだったら舞い踊るだろうが、エノキタケなので心が躍るだけにとどめた(うれしさにも上・中・下がある)。
「侍ジャパン」も幼い子のように喜びを爆発させた。しかし、それは「幼い」からではない。ただひたすら戦い続け、追い求めてきた勝利を手に入れた瞬間、内面の感動が体全体に伝わり、自然とぴょんぴょん跳びはねる形になった。それほど「世界一」の栄誉はすごいものなのだろう。
WBCだけではない。日本のプロ野球のリーグ優勝、シリーズ優勝もそうだ。選手たちがベンチから飛び出し、輪になって跳びはねて喜びを表現する。
人間は心底からうれしいとぴょんぴょん跳びはねる。これはもしかしたら、踊り(ダンス)の原点ではないのか――そんなことも思いながら、テレビで何度も繰り返される優勝シーンを見た。
跳びはねが踊りの原点かどうかは、むろん伝統芸能やダンスの研究者に聞かないとわからない。が、「仮説」として考えたり、調べたりしてみるのも無駄ではあるまい。たとえ結果がそうではなかったとしても、考えを深めるきっかけにはなる。
ところで、ぴょんぴょん跳びはねにはこんな悲劇もあった。ディアスというプエルトリコの投手が1次リーグのドミニカ共和国戦で9回をぴしゃりと抑えた。そのあと、チームメートと跳びはねながら輪になって喜んでいるうちに右ひざを痛め、車いすでグラウンドをあとにした。
ディアスは大リーグ・メッツの抑えの投手だ。けがは「膝蓋(しつがい)腱断裂」で、全治8カ月という重傷だった。結局、今季は大リーグ出場が絶望的だという。「好事魔多し」とは万国共通、どこにでもひそんでいるものなのか。
日本でも、アメリカでもプロ野球が開幕した。世界の野球は今や大谷が軸になっている――WBCを見てからは特にそう思う。
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