最初は「誤植?」と思ったが、そうではなかった。「ライスワーク」。「ライフワーク」の対語として紹介していた。
ノンフィクション作家沢木耕太郎さんのエッセー集『旅のつばくろ』(新潮社、2020年)に、作家井上靖を回想した小文「雪」がある。
井上と交流のある知人と酒を飲んだとき、井上が合流した。深夜、井上に誘われて彼の自宅へ移動する。
井上は帰宅するとすぐ寝室に入って出てこなかった。酒肴の用意をした奥さんが、夫のライフワークの話をする。言外に「井上を連れ回すな」「大事な時間を奪うな」という意味がこもっていると、沢木さんは受け止めた。
そんなエピソードを彼が思い出したのは、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館を訪れたときだ。井上は同館の名誉館長だった。館内の記念室には遺品の「雪」が展示されている。
その遺品を目にして、深夜、井上宅をみんなで訪れたとき、奥さんから言われた「ライフワーク」という言葉がよみがえる。同時に、友人が「食べるための仕事」を「ライスワーク」と自嘲したことも思い出す。ライフワークとライスワーク――。そこから沢木さんは考えを巡らせる。
「眼の前にある仕事を、ただ手を抜かずに書いてきただけだ。たぶん、私はどんな小さな仕事、どんな短い文章でも手を抜いたことがないはずだ。あるいは、手を抜かないと思い決めた瞬間、ライスワークがライスワークでなくなっていた、のかもしれない」
ライスワークは、初めて聞く言葉だ。ネットで検索すると、特別な生きがいを感じている、いないにかかわらず、「ご飯を食べるための仕事」とあった。
ライスとライフを比較して、ライスワークはご飯を食べるための活動、ライフワークは夢や自分の好きなことを追い求める活動、というのもあった。
朝食=写真=をすませたあと、沢木さんと同じように自分の仕事を振り返ってみる。子どものころから「書く」のが好きだった。大人になってからは地域新聞で書き続けてきた。仕事を離れた今も毎日、ブログを書いている。
私は、詩人山村暮鳥が種をまいたいわきの詩風土に興味がある。同時に、暮鳥ネットワークと交差しながら独自の文学を生み出した、作家吉野せいの『洟をたらした神』の注釈づくりをライフワークにしている――そんなことも書いてきた。
これはたぶん、調べることと書くことを融合させたライスワークが生んだ「知る愉(たの)しみ」のことだろう。つまりは生涯学習。それをライフワークといっていいのかどうかは、今は自信がない。
新しい朝ドラ「らんまん」が始まった。主人公は槙野万太郎。植物学者牧野富太郎がモデルだ。
最初の2週間は万太郎の子ども時代に焦点があてられた。幼いころから、ライスワーク(造り酒屋の跡取りとしての仕事)を超えて、ライフワーク(植物研究)にのめりこむ様子が描かれる。
ライスとライフの間で揺れ動いてきた人間には、「草」にすべてのエネルギーを注入する万太郎がうらやましい。いや、希望と同時に突っ走る怖さも感じるのだった。
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