2023年4月14日金曜日

「名もないおかず」


  『土井善晴さんちの名もないおかずの手帖』(講談社、2010年)=写真=の前書きに、「『名もないおかず』とは、身近な材料で作る毎日のおかずのこと」とある。料理名ではなく、素材から始まる料理づくりの本だとか。

 過日、夏井川渓谷の隠居で、カミサンが親友を誘ってアカヤシオ(岩ツツジ)の花見をした。アッシー君を務めた。親友はちらしずしや手製の漬物を用意した。

 その漬物は、土井さんの本にある「キャベツの和風ピクルス」だった。ご飯のおかずだけでなく、晩酌のつまみにも合う。後日、カミサンがレシピを参考に、似た漬物をつくった。

 レシピのポイントは、①キャベツを食べやすい大きさに切り、塩を振って30分ほどおく②合わせ酢(米酢、水、砂糖)を混ぜ合わせる③キャベツの水気を軽く絞って容器に入れ、合わせ酢と細切り昆布、赤唐辛子を加えてまぜあわせる④冷蔵庫に入れて一日おく――。

 カミサンの「キャベツの和風ピクルス」は、手元にある材料を組み合わせた、それらしいおかずだった。1回目は酢の味が強すぎた。2回目も甘みとすっぱみが少し目立った。カミサンの親友がつくったおかずからはちょっと遠い。でも、それでもかまわない。

 土井さんの父親はNHKの「きょうの料理」などに出演した人気料理研究家の土井勝。そして、その息子の土井さんもまた、料理研究家としてテレビではおなじみの人だ。

 土井さんの『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫、2022年第5刷)もわが家にあった。だれかのリサイクル本のようだ。

家庭料理のレシピも入っているが、なぜ一汁一菜でいいかを繰り返し述べている。たとえば、最初の小項目「食は日常」。

「暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです」

それには「一汁一菜」だという。「一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を『ご飯、味噌汁、漬物』とする食事の型です」

「家庭料理はおいしくなくてもいい」の小項目にはこんなくだりがあった。「商売をやっている家庭や、親が働いている家庭では、一緒に食卓を囲めないのは当然で、親が用意した汁を自分たちで温めて、子どもだけで食べる。そんな家庭はたくさんあると思います」

私が子どものころはまさにこれだった。両親が床屋をやっていたので、親子が夜、一緒に食卓を囲むのは店が休みの日くらいだった。

それからざっと半世紀以上たって、「一汁一茶」は別の意味で「団塊の世代」の食事を象徴する言葉になった、と私は思う。

シンプルな料理こそ年寄りの舌になじむ。かつ丼やラーメンライスなどをむさぼるように食べていた20、30代と違って、今は食事の中身が文字通り一汁一菜に近づいてきた。

栗原はるみさんらの料理番組もシルバー向けのレシピが増えているような気がする。団塊の世代の興味と関心に対応した番組や出版は、団塊が彼岸へ渡るまで続く? そんな感慨がよぎるのだが、どうだろう。

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