同じ職場で働いていた若い仲間から電話がかかってきた。映画を見に行った。これから公開される映画「渇水」のチラシを持ち帰った。「よく見たら、原作は河林満だった」という。
河林満(1950~2008年)はいわき市出身の作家だ。東京で育ち、立川市役所職員として働きながら小説を書き、「海辺のひかり」(旧題「海からの光」)で吉野せい賞奨励賞を、「渇水」で文學界新人賞を受賞した。「渇水」は芥川賞候補にもなった。
その「渇水」が発表から30年以上たって映画化された。今年(2023年)6月、全国で公開される。
若い仲間から電話があったあと、ネットで映画「渇水」の情報を探った。なぜ今「渇水」なのか、いろいろ考えを深める材料が見えてきた。
まずは映画の概略から――。企画プロデューサーは監督の白石和彌、監督は高橋正弘、主演は生田斗真で、ほかに人気俳優が出演する。映画そのものは2021年に撮影され、2022年に公開の予定だったのがずれ込んだようだ。
そのあと、いわき総合図書館から原作の『渇水』=写真=を借りてきて読んだ。前にも読んでいたが、細部は記憶の網の目からこぼれ落ちていた。とりあえず映画は映画、原作は原作と割り切って、小説の流れを追ってみる。
主人公はS市役所水道部の職員だ。料金滞納世帯の水道を止める「停水執行」を仕事にしている。
酷暑の夏、ある家の停水作業をしていると、小学5年と3年の姉妹が戻ってきた。姉妹とは水道料金納入の督促を重ねるなかで顔見知りになっていた。
父親は家を出てしばらくたつ。母親が家に戻るのは夜になってからだという。このままでは水道を止めるしかないということを母親に伝えるよう、子どもに念を押しても母親からは連絡がない。
姉妹に言って、家にある容器のすべて(風呂はもちろん、鍋や洗面器など)を水で満たしたあと、水道を止める。
それからほどなく、姉妹が列車にはねられる。妹は即死し、姉は風圧ではねられ重体になる。警察から主人公が事情を聞かれる。
離別、貧困、ネグレクト……。再読してあらためて、映画化される今日的意味合いが濃いことを知る。
ここで少し個人的なことを書き加えておく。そもそも若い仲間が映画「渇水」の情報を伝えてきたのは、私が拙ブログで何度か河林満の人と作品を取り上げてきたからだ。
ふるさといわきの文学賞、吉野せい賞の選考委員を務めたこと、短編「ある彼岸」が作品化される前、たまたま会って話したこと、いわき民報で連載し、単行本になった『鮫川流域紀行』を進呈したのが、作品末尾の「参考文献」に記載されていたことなどを書いた。
原作の「渇水」の結末は、あまりに急展開過ぎると受け止める人もいる。映画の全国公開は6月だという。それを見たうえでまた河林満の文学を考えてみようと思う。
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