2023年4月12日水曜日

草野駅が様変わりしていた

                      
 わが家は、JR常磐線いわき駅と草野駅の間の旧道沿いにある。地理的には草野駅に近い。が、この駅を利用したことはない。

 いわき駅前は平市街、つまりいわきの中心市街地だ。駅前大通りをはさんで西に田町、東に白銀(しろがね)の飲み屋街がある。

 職場が田町にあったので、よく田町で飲んだ。帰りはタクシーを利用した。電車で帰る発想はなかった。

 草野駅で降りたとしても、30分近くは歩かないといけない。酔って気が大きくなった人間には、とにかくタクシーで帰宅する選択しかなかった。電車も10時を過ぎるとないから、おのずとそうなった。

 年金生活の今も、いわき駅前で飲み会があるとバスで出かける。草野駅まで歩いて、そこから電車に乗るということは考えたこともない。

 草野駅まで客人を送ったことはある。客人を迎えに行ったこともある。めったにないことなので、鮮明に覚えている。

 県の出先機関の職員が、夏井川の上・下流をつなぐ企画を立て、私が勤務するいわき民報社と紙面でコラボした。

 この職員は高専の後輩だ。年齢が離れていたので、学校で直接顔を合わせたことはない。実家は双葉郡内にある。わが家を訪ねたあと、実家へ帰るというので、草野駅まで車で送った。

 客人を迎えに行ったのは3年半前。スペインに住むいわき出身の画家阿部幸洋と親子のようにつながっている青年の弟夫妻だった。

 彼はスペインの大学で日本の歴史を教えている。夏休みを利用して来日し、日本のことをいろいろ勉強した。3年目の令和元(2019)年は、わが家の近く、故義伯父の家にホームステイをした。

 月後れ盆の8月15日から24日まで、そこを拠点にいわき市内を歩き回った。問題は初日にどうやってわが家へ来るか、だった。

 いわき駅からだと思っていたのが、草野駅で降りるとメールにあった。いわき駅発19時25分、草野駅着同30分の広野行きの電車があった。

あわてて草野駅へ車を走らせたが、駅には車も人もいない。駅員に尋ねると、「外国人の男女が降りた」という。

すでに夜である。道は暗い。それらしい歩行者を探しながら、ゆっくり戻ると、草野駅とわが家の中間あたりを、大きなトランクをガラガラ引いて進む2人が目に入った。時間にすると小一時間、気をもんで、もんで、もんだ末にやっと2人をピックアップした。

 当時、草野駅には職員がいた。それから3年半、フェイスブックでつながってはいるが、会うのは初めての、高専の別の後輩(小高出身)を草野駅まで迎えに行った。午後2時前だった。

駅舎がガラリと変わっていた。列車の時刻表などが壁に表示されている=写真。内郷駅も、磐越東線の川前駅も改築したことを思い出しているうちに、電車が着いた。

けっこうな数の高校生が降りる。その中に何人か大人がいた。すぐわかった。わが家に戻って2時間ほど話をした。学生時代は列車で通学したという。当然、そのころの常磐線の話も出た。

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