2023年4月17日月曜日

近代の新聞

                                
 福島県歴史資料館(福島市)から収蔵資料展のチラシが届いた=写真。「報道の時代―近世の風説から近代の新聞へ―」がタイトルで、4月15日に同館で始まった。7月9日まで。

 明治の自由民権運動をリードした一人に、三春町出身の河野広中(1849~1923年)がいる。今年(2023年)は没後100年の節目の年に当たる。彼は福島県の新聞誕生に深くかかわったという。

 「戊辰戦争から自由民権運動を経て政党政治家として活躍した彼の生涯は、新聞とともにあったと言っても過言ではありません。当時最先端のメディアであった新聞を通じて、河野は自らの主張を世間に問い、理想の実現を目指しました」

 そこから「河野の人生と新聞の歴史をたどりつつ、福島県の事件や出来事」を振り返る企画が生まれた。

前にいわきの新聞の歴史を調べたことがある。時代が重なるので、それを拙ブログから要約・再掲する。

――明治4(1871)年7月に廃藩置県の詔書が発令されると、いわき地方は短期間に磐城平県平県磐前(いわさき)県と変わる。磐前県の範囲は現在の浜通りと田村郡、石川郡、白川郡(現在の東白川郡)で、平に県庁が置かれた。

磐前県は明治6年、布告類の迅速な配布・周知を徹底するため活版印刷機を導入し、5月から活版印刷の県布告を発行する。

さらに、同年10月には「磐前新聞」第1号を県庁内の新聞紙局で印刷・発行した。これが、官製ながらいわきで最初に発行された新聞だ。

2年前、たまたま「磐前新聞」第1・2・3号の現物を見ることができた。大きさは縦220ミリ×横160ミリほどの、和紙二つ折りの冊子タイプだった。第1号は14ページ、第2号(同7年3月)は16ページ、第3号(同年4月)は14ページ+二つ折りの挿し絵1枚。第3号にだけ表紙の欄外に「定価1銭8厘」とあった。

官製新聞であっても、行政ネタよりは社会ネタが多い。「髪の毛の真っ白な赤ん坊が生まれた」「三本足のひよこが孵った」といったトピックも載っている。

いわき地方初の民間新聞「いはき」は明治40(1907)年5月に創刊された。平の吉田新聞店主吉田礼次郎(1870~1933年)が発行した――。

「磐前新聞」から「いはき」までの三十数年の間には、自由民権運動の深化と政党新聞から商業新聞への変容があった。

「報道の時代」展で紹介されている地元紙のうち、「福島民報」には「明治25年8月に河野広中らが福島自由党の機関紙として創刊した新聞です。のち、政友会系の新聞として県内言論界の一翼を担いました」というコメントが付されている。

「福島民友新聞」も、「明治32年11月に東北民を改題した新聞です。自由党系から離脱した河野広中陣営の機関紙として、福島民報に対抗しました」とあった。

河野はわがふるさと(現田村市常葉町)の戸長を務め、全国に先駆けて民会を開いたことで知られる。それもあって、なにかと気になる存在ではある。

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