2023年5月13日土曜日

『マルドロールの歌』

                                
 もう半世紀以上も前の話だ。15~20歳が学ぶ工学系の新しい学校に入った。寮にも、学校にも、政治や文学を語る先輩がいっぱいいた。

 開校して3年目。先輩は2年と3年生だけだった。私もいつの間にか文学に引かれ、詩のようなものを書き出した。するとすぐ、同好の先輩たちと知り合いになった。

 作品の質はともかく、3人で詩集を出す、仲間を募って同人誌を出す、といったことをした。単純な話、書いたので読んでほしい、ではなく、書いたから活字にしよう、そんなうぬぼれた気持ちが優先していたように思う。

 そのころ、先輩たちはフランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854~91年)のことをよく口にした。

 17、8歳――。島崎藤村や山村暮鳥らの近代詩をくぐり抜けて戦後詩にたどり着き、鮎川信夫や田村隆一、吉本隆明ら、あるいはその次の世代の谷川俊太郎、大岡信らに親しみながら、同時代を生きる現代詩人を視野に収めつつあるときだった。

 先輩たちがランボーなら、オレは違う詩人を選ぶ。現代フランス文学を紹介する本のなかで作家フィリップ・ソレルスと出会い、たぶん彼が言及するなかで名前を知ったのだと思う。

ランボーと同時代を生きたロートレアモン(本名/イジドール・デュカス=1846~70年)に興味を持ち、散文詩集『マルドロールの歌』(栗田勇訳=思潮社、1968年)=写真=を買った。

 ランボーもそうだが、ロートレアモンも謎の多い人物だ。南米のモンテビデオで生まれ、作家を志してパリへ赴き、『マルドロールの歌」を完成させたものの、無名のままに急死した。

 その後、彼の再評価が進み、片田舎の文学少年も『マルドロールの歌』を読むようになった。あまりに早い死も一種の憧れ、「夭折の権利」の行使と映った。

 なぜか最近、この『マルドロールの歌』を枕辺に置いて、睡眠導入の書にしていた。すると、もちろん因果関係はあるはずもないのだが……。

 能登半島で最大震度6強の地震が発生した。能登半島を訪ねたことはない。が、若いとき、ロートレアモンをもじって「能登亜門」というペンネームを使い、勤める新聞社で記事とは異なる文章を書いたりした。

ただそれだけだが、能登の震災が気になり、東日本大震災のとき、こちらは6弱だった、6弱だと室内の揺れと被害はこう、6強はさらにそれよりひどいだろう、などと類推がはたらくのだった。

それと、もうひとつ。この大型連休の終わりころ、新聞がフィリップ・ソレルスの死を伝えた。享年86。

 能登半島の地震、フィリップ・ソレルスの死。『マルドロールの歌』を介した極私的な連環に、いささか胸がざわついた。

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