子どもが小さいころはときどき、車で10分ほどの新舞子海岸へ遊びに出かけた。堤防のすぐ前には波消しブロックが続く。そこは避けて、夏井川河口に出て砂浜を歩き回った。
台風はもちろん、大雨のあとは、砂浜にいろんなものが打ち揚げられている。大物は流木だ。
この流木を拾い集めてオブジェをつくったのが、同海岸にあったカフェ「ブルボン」のマスターだった。この店へも記者仲間とときどき出かけた。
半世紀前の昭和40年代後半、いわき中央署担当の新聞記者たちが、朝、事件・事故の有無を確かめるために同署へやって来る。
ニュースになる材料はない、ほかに取材の予定も入っていない、となると、しめし合わせて「ブルボン」までモーニングコーヒーを飲みに出かけた。
一緒にさぼっていればニュースを抜かれる心配はない、たぶんそんな安心感が一番の理由だった。
今のようにスマホがあるわけではない。急に連絡が必要になったとしても、固定電話を利用するしかない。わざわざ連絡が取れないところへ行って、おしゃべりを楽しんだ。
別の言葉でいえば、情報交換、いや情報収集の方が大きかったか。言葉の端々から、何かを追っているのではないか、そんなことを絶えず探る気持ちもあった。
流木は、大水と一緒に川を流れてきたものと想像がついた。海からの揚がりものは、遠いところから潮の流れに乗ってやって来たものばかりではない。
川から海に流れ出したものが、波に押し返されて砂浜に揚がる。夏井川河口では、山の方から流れてきたものと察しが付くものがよく揚がった。
ソフトボールなどはかわいいものだった。あるときは、豚の死骸が脚を天に向けて横たわっていた。
子どもには貝殻が魅力的だったようだ。色も形もさまざまだ。なかに穴の開いた貝殻がある。二枚貝だが、とっくにバラバラになっている。図鑑にはツメタガイが“犯人”とあった。
実は先日、知り合いから生きたツメタガイやアサリをもらった=写真。説明を受けて、初めてわかった。そこからいきなり、子どもを連れて砂浜を歩き回ったころの記憶がよみがえった。
ツメタガイは一見、カタツムリに似る。それで「海のエスカルゴ」と呼ばれることもあるようだ。食べられるが、身は硬い。薄切りにしてコリコリ感を楽しむ、とネットにあった。
何はともあれ、「潮汁」にして、晩酌の友にする。アサリは知った味だから、「まあ、こんなもの」。ツメタガイはやはり硬い。が、これはこれでいい味をしている。というわけで、久しぶりに海の幸を堪能した。
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