2023年5月23日火曜日

気ぜわしい日々

                     
 日曜日は夏井川渓谷の隠居へ出かけて土いじりをする。今は辛み大根の花が咲いている=写真。花を見るだけで心がほぐれる。

 花はやがて実をつける。こぼれた実は、月遅れ盆のころには発芽する。芽は育ち、やがて冬にはずんぐりむっくりとした辛み大根になる。

 自然の移り行きは毎年ほぼ変わらない。それに比べたら、人間の世界は波がありすぎる。この3年はコロナ禍に翻弄された。

 地区の行政嘱託員や保健委員をやっている。青少年育成市民会議などにも属している。年度末~年度初めは、各種組織の総会や打ち合わせ、書類作成その他の用事が途切れなく続く。合間に、地区の球技大会や市民総ぐるみ運動(一斉清掃)などが入る。

責任者となって招集する会議がある。責任者ではないが、出席義務のある行事や会議がある。この3年間はこれら行事の中止や延期、書面審議による議決などが続いた。

それが4月に入ると、対面で行事が再開されるようになった。コロナ禍前の流れに戻っただけなのだが、3年間のブランクは大きい。

一例が地元の神社の祭礼だ。前に書いたことを引用する。4年ぶりにいつもの流れで祭典を催すことになり、その旨の案内状が4月に届いた。

案内状によると、例大祭は、新型コロナウイルス感染症のまん延を受けて、3年にわたって規模を縮小してきた。感染症が鎮まりつつあり、政府の対策が緩和されてきた状況を踏まえて、感染に留意しながら、恒例の例大祭を斎行(さいこう)する、とあった。

例大祭は春の大型連休中に行われる。近隣の区長も来賓として祭典(神事)に出席する。この3年間、来賓は出席を見合わせてきた。

当日、「みどりの日」の朝6時、頭上で花火が2発鳴った。祭典が始まるのは午前10時。これは従来と変わらない。祭典から直会(なおらい)の流れは頭に入っている。

とはいえ、コロナ禍が消えたわけではない。直会による飲食は差し控え、「直会の粗肴」を手渡しするという。マスクなしの「三密」は避ける、という判断からだった。

4年ぶりに同じ祭典に出席したのだが、何かが違っている、そんな感じを受けた。一つは「簡素化」が進んだということだろうか。

もう一つは、車の運転と同じで、休まずに動くからこそ持続するカンのようなものが衰えている、という自覚だった。

しかし、一番実感したのは、年をとったということ。この3年間、行事の中止や延期で体を動かすことが減った。例えれば、仕事の量が半減したのに慣れて、当たり前の仕事をするのに2倍のエネルギーが必要になる、そんな感覚だろうか。もう後期高齢者の一歩手前だよと、脳内でささやく者がいる

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