義弟が隣に住む。食事はわが家でする。週に3回はデイサービスを利用している。義弟を含めると高齢の3人暮らしだ。
それぞれかかりつけ医がいて、薬を処方される。義弟が持病の影響か、少し体調を崩した。予約日ではないが、連絡すると診てくれることになった。
通院には私が車を出し、カミサンが付き添う。店は、私が戻るまで閉めておく。迎えに行くときには、また閉める。カミサンの通院のときも同じだ。
義弟は何日か検査入院をすることになった。義弟は7年前にも入院している。退院後はデイサービスの合間に通院を続けてきた。
病気を抱えながらも、それなりに家での暮らしを維持しているので、デイサービスのない日は、義弟に店番を頼むことがある。
それで、夫婦で買い物へ行くことも、街へ出かけることもできた。家族の一員としての役割分担が可能だった。一時入院となれば、この暮らしのルーティンが崩れる。
当たり前のようにデイサービスの車が迎えに来る。施設から米の注文を受ける。米を用意しておけば、その車に積んで持ち帰ってもらえる。
たまたま米の注文と義弟の入院が重なった。デイサービスの車は来ないので、早朝7時過ぎ、店を開ける前に施設へ米を届けた。
朝方に車を走らせるのは久しぶりだ。夏井川渓谷の隠居でキュウリを栽培したときには、日曜日だけでなく、週半ばの早朝にも摘みに行った。それ以来だ。雨上がりの朝はこんな具合だ。
――いつもの田んぼ道を行く。平窪から小川へ入るところで、水石山があらわれる。ふもとから天空へと霧がわいて雲になる。
雨上がりだから見られる現象だろう。「生まれたての朝」。現役であれば新聞の絵解きの見出しに使いたくなるようなことばが脳裏に浮かぶ。
7時前に隠居を離れて街へ戻ると、小学生が集団登校をしていた。「生まれたての朝」だからこそ見られる光景だ。やがて通勤の車が続々と幹線道路に集中する――。
今回は小雨だった。集団登校が始まる時間帯に出発し、それが終わって通勤ラッシュに変わるころ、家に戻った。田んぼ道も車が数珠つなぎになっていた=写真。
この早朝配達は、義弟の入院がもたらした変化の、ほんの一例だ。カミサンもまた、かかりつけ医院へ薬をもらいに行くのを、次の日に持ち越した。私も翌日、会議があるのをすっかり忘れていた。
核家族は「生存の危機」と隣り合わせだ――そんな意味のことを、はるか昔に識者が新聞に書いていた。
生存の危機は、若いころは観念にすぎなかった。年をとった今はもう現実にほかならない。今回はそこまでいかないが、少し波が立って生活がゆれた。
それぞれに役割がある。高齢のきょうだいだからこそ、「家庭内互助」が大切になる。早く暮らしのルーティンが戻るように――そんな思いがふくらんだ。
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