6月27日付のいわき民報1面記事=写真=を読みながら、そのスケールの壮大さにあらためて感じ入った。現場でイベントを目撃した人は、それこそ天からの贈り物に心を震わせたことだろう。
「満天の桜、四倉に咲き誇る/いわき縁の蔡さん(世界的芸術家)の昼花火/震災犠牲者への鎮魂や平和を願い」という見出しとともに、満開の“桜並木”のようなピンクの花火の写真が掲載されていた。
北京オリンピックの開・閉会式でやはり、蔡さんの花火アートが揚がった。それを空からの映像で見て仰天した。
そう、蔡國強(1957年~)の花火アートはけた外れの爆発力と、宇宙につながるようなスケールの大きさが特徴だ。
今はニューヨークに住むが、中国を飛び出して来日し、いわきのギャラリーを介していわき市民と結びつきが生まれたのが30年ほど前。
夕刊の記事で記憶を呼び覚まされたのだが、蔡さんは平成6(1994)年、いわき市立美術館で個展「蔡國強―環太平洋より」を開いている。
このとき、「海上約5キロで火薬を使って“地球から地球を見る”『地平線プロジェクト』を実施」した。
カミサンの親戚の女性がこのプロジェクトに関係していたため、カミサンが何か手伝いをしたような記憶がある。
蔡さんは当時、四倉町の高台に家を借りて作品制作に励んでいた。そこは確か「ヤカトカ」といった。漢字で書くと「八日十日」。
そこから海上を走る火を見たのだったか。記憶はあいまいだが、あのとき、なぜだか「とまどい」と「もやもや」感が残った。
実は、今回のプロジェクトは知らずにいた。東京・国立新美術館できょう(6月29日)、「蔡國強 宇宙遊―<原初火球>から始まる」が開幕する(いや、「開幕した」と書いてもいいか)。その関連事業として、同26日、四倉海岸で「昼花火」が実施された。
私はSNSでプロジェクトを知った。併せて、市の防災メールで火災情報が流れてきた。やがて、またメールが届いた。「12時09分ごろ、四倉町西三丁目付近に消防隊が出動しましたが、火災ではありませんでした」
わが家は四倉町の手前にある。同じころ、消防車がサイレンを鳴らして国道を走って行った。それで「火災発生」を知り、それが「昼花火」のピンクの煙を見た人が驚いて119番通報をしたのだとわかった。
SNS、特にツイッターには次々に昼花火の動画がアップされた。現場に立ち会わなかった人間も、その動画を通じてスケールの大きさ、そしてみごとな出来栄えに感じ入った。
その作品の、なんという明快さよ。動画と写真の間接体験ながら、「あのとき」の「とまどい」と「もやもや」がきれいさっぱり消えていた。
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