庭のプラムの実が色づき始めた。自分のブログを読み返すと、夏至が過ぎたあたりで収穫作業をしていることが多い。
今年(2023年)は色づきが1週間ほど早いようだ。早い春の到来に合わせて、植物の芽生えと芽吹きが早まった。庭の草木も同じように先を急いでいる。
手が届くところにある実は、青みが残っていても、ついもいでしまう。不思議と酸味は強くない。黄色くなりかけただけでなく、一部赤みを帯びたものは、ほどよく硬くて甘みが増しつつある。人によっては、このあたりがプラムの食べごろと感じるかもしれない。
熟して全体が赤くなった実は、これはちょっと敬遠したい。果肉がとろけて液状化しているというか、ガブリとやると液がはじけてこぼれる。甘みが消えた薄味のジュース、といってもオーバーではない。
狙いは、やはり黄赤色に変わりつつある硬い実だ。つまり、今が摘みごろ=食べごろ。茶の間でパソコンを開いていると、カミサンから声がかかった。「はしごがあるよ」。プラムの幹と枝にはしごをかけて実を収穫するように、という合図だ。
6月17、18日と違って、20日は晴れてもそんなに気温は高くない。北からの風が吹き抜けていく。よし、落果する前に収穫するか――。
はしごはわが家の隣、義弟の家の物置の軒下に置いてある。それをまず義弟の家の庭からプラムの枝と幹にかける。
プラムはわが家の庭の南隅にある。育った木はわが家だけなく、ブロック塀をはさんで義弟の家の庭にも枝葉を広げている。塀の南側だけでカゴにいっぱい採れた。
半そでのままでは、あとで腕がかゆくなることがある。それを防ぐために手袋とハンドカバーをしてはしごに足をかけ、さらに上の実を採るためにまた一段昇る。そうして手の届く範囲であらかた実を収穫した。
収穫したあとがむしろ大変だ。そのへんのことを前に書いている。――植えて何年後かに実が生(な)りだした。初めのころは実の生るのが面白くて、せっせと収穫した。
が、子供たちが家を出ると口にするのは夫婦だけ。枝という枝にびっしり実を付けるから食べきれるものではない。で、ついつい家へ遊びに来た人に迷惑も顧みず分けてやる、という仕儀になる――。
実が赤くなったのを放置しておくと、やがて落果する。庭の方から饐(す)えたにおいが漂ってくる。
今年はそうなる前に収穫した。カゴのほかに、大きなポリ袋がいっぱいになった=写真。いつものように、急いでお福分けをしなくては。
はしごに昇ったのは久しぶりだ。高さとしては家の2階には届かない。が、庭の木の高さで周囲を眺める余裕はもうなくなっていた。はしごにしがみついて実を採るのに精いっぱいだった。若いころは、やはり怖いもの知らずだったか。
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