後輩がグミを持ってきてくれた=写真上1。お菓子のグミではない。久しぶりに見る夏の木の実だ。よく食べたのは小学生のころ、時代的には昭和30年代前半だ。
近所の家にグミの木が、別の家にはスモモ(プラム)の木があった。どちらも梅雨のころ、実が赤くなる。
グミもスモモも家にはなかった。遊びの途中でひょいと手が伸びる。怒られなかったのは持ち主が寛容だったからか、それともたまたまだったか、今となってはよくわからない。
60年以上も前の記憶ながら、子どもの背丈からしてもそう高くない木の枝に赤いグミがびっしりなっていた。棒を使わなければとれない柿の実などと違って、グミは手を伸ばせば摘み取ることができた。
赤く熟した実は甘い。しかし、渋みもある。この渋みが影響していたのか、グミを食べすぎると(あるいは、まだ熟していないグミを食べると?)、「糞詰まり」になるといわれた。
ネットでそのへんの事情を探ると、すぐ答えが現れた。「種ごと食べると糞詰まりになる」だった。果肉だけを食べたから、糞詰まりになることはなかったが、過食を控える戒めにはなった。
最近では5年前だったか。車で林間の狭い坂道を駆け上がって友達の家に行くと、駐車場のそばにグミがなっていた。つい真っ赤に熟した実をもぎって食べた。
やはり、グミはグミだった。今風に言えば、「シブアマ」(渋くて甘い)。でも、その渋さが少年時代の記憶と直結していた。
まずは生食する。こちらはグミと違って渋みはない。あっさりした甘みを楽しんだ。あとでジュースになったものも出てきた。
そうこうしているうちに、カミサンの知り合いがスイカの小玉を持って来た。土・日曜日と猛暑になった。のどを冷やすのにぴったりの食べ物だった。
大玉のスイカを食べたときには皮をむいて糠床に入れる。白い皮の糠漬けだ。これがまた、酒のつまみになる。
カミサンが、小玉の皮を糠漬けにしたら、というが、外の皮をむいたら食べられる部分は何ミリもない。さすがにこれは断った。
ビワ、グミ、スイカに刺激されて、庭のプラムの木を見ると、あおい実が少しずつ黄色みを帯び、なかにはルビー色に熟したものもあった。
赤い実は甘いかと思ったら、意外と水っぽい。それより黄赤色になりかかった実が食べごろといっていい。適度に硬くて甘酸っぱい。いかにもプラムらしい味わいだ。そろそろはしごを出して収穫してもよさそうだ。
さて、グミはどういうわけか、プラムなどと違って店頭には並ばない。理由を深く考えたことはない。が、やはりというか、「シブアマ」のシブ=渋みが理由ではないだろうか。グミを食べて、あらためてそこに思いが及んだ。
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