2019年5月10日金曜日

ごみとカラスと人間

 おととい(5月8日)、行政区の役員8人で区内を見て回った。「箇所検分」といっている。消火栓の場所やごみ集積所を確かめながら、危険個所の有無をチェックした。
 この日は容器包装プラスチックの収集日。ある集積所にこれが出されていた。それから一気に、ごみとカラスと人間の話になった。

 違反ごみが後を絶たない。国道沿いにある集積所は、通りすがりの車が止まってごみ袋を置いていく。曜日の違反、中身の違反だけではない。一般ごみとは異なるレンジやスト―ブなどの廃棄物(有料)も捨てる。住宅街の細い路地でも事情は変わらない。

 生ごみ、つまり「燃やすごみ」の場合は、出し方が悪いとたちまちカラスに狙われる=写真。それを防ぐために、集積所にごみネットが備えられる。わが家の前の集積所では、わが家でごみネットを出し入れする。私が月曜日に出して、カミサンが木曜日に引っこめる。ごみネットがあると違反ごみを置いていかれる。美観と人間対策だ。

 ネットを張るのは、むろんカラス対策である。しかし、「燃やすごみ」を単にネットの下に置くだけではだめなのだ。ネットのヘリをごみ袋の下に入れて、ごみ袋を重し代わりにしないと、カラスに簡単に引っぱり出される。カラスはいつも人間の上をいく。

 地域のごみ問題はエンドレス。違反ごみが出されても怒らないことにしている、という役員さんがいた。どこの誰が違反したのか、結局はわからない。ならば、マナーやルールを学ばない人間はどこにでもいる、と“達観”して、カラスが散らかしたあとを片づける。そうでないと神経が持たない、という。

 どこでもごみの出し方が問題になるのは、カラスのふるまいに懲りているからだ。自分の出したごみが他人に迷惑をかけ、カラスにつっつかれるかもしれない、という想像力が一部の人間には欠けている。

エンドレスであれば、それをいちいち問題にしてもしかたがない。私も「またか」と受け止めて、腹を立てないことにするか。カラスにやられないように、決まった曜日まで違反ごみをわが家で仮置きする。美観のためには、それが一番。先日、それを実行したばかりだ。

ごみ集積所はこうして、人間について学び、カラスについて考える絶好のフィールド(現場)となる。

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