2019年5月24日金曜日

ヒオドシチョウの蛹が玄関に

 おととい(5月22日)のブログで、雨宿りをする幼虫の話を書いた。フヨウの葉裏にいたので、その葉を食害するフタトガリコヤガと早とちりしたが、そうではなかった。成虫になると美しいヒオドシチョウだった。訂正を兼ねて、ヒオドシチョウと判断したいきさつを書く(22日のブログには、その旨の「追記」をした)。
 21日の暴風雨をやり過ごした幼虫は、翌22日朝も玄関のそばのフヨウの若木と、そばの別の若木にとどまっていた。やがて少し場所を移して、尻からぶら下がった状態で動かなくなった=写真上。

ん? これは緑色の地に背中の黄色い筋と黒い点々があるフタトガリコヤガとは違うぞ。逆光で見ていたので、体の紋様がよくわからなかったが、全体に黒っぽい。背中には黒い筋と並行して、両側に黄色い筋がある。吸盤様の腹脚(ふくきゃく)は赤い。

さて、なんだろう。同じ紋様の幼虫が2匹、庭のツワブキの葉の上にもいる。葉から地面にポトリと落ちると、必死になって家の方へ移動してきた。振り返ると、すでに軒下の空き箱や台所のガラス戸のレールにも同じ幼虫がいた。こちらは計5匹。これはいよいよフタトガリコヤガではない。

 こうなったら種を特定しないではいられない、という気持ちが膨らむ。ときどき様子を見ることにした。ほかの幼虫たちはどこかへ消えたが、最初に見た2匹は昨23日早朝も動かずにいた。そのことも頭において、「ガ 幼虫」「毛虫」などとキーワードを替えながら検索を続ける。と、ようやく同じ紋様の幼虫に出合った。ヒオドシチョウだった。

 尻からぶらさがって動かなくなったのは、そこで蛹化(ようか)するためだろう。きのうの昼前は、紋様に変化は見られなかった。が、5時間後の午後3時ごろ見ると、大変身をして灰色の蛹(さなぎ)になっていた=写真右。鳥肌がたつほど感動した。レイチェル・カーソンのいう「センス・オブ・ワンダー」(不思議さに目を見張る感性)が作動した。

 それで思いだした。2年前の6月下旬のある夜、開けていた玄関から茶の間にヒオドシチョウ(今ははっきりそういえる)が迷い込んできた。テレビの画面の中に入り込もうとしたり、電灯の笠の内側に沿ってバタバタやったりしたあと、テレビのわきのパキラ(観葉植物)の葉陰に消えた。パキラの葉裏に逆さに止まったあとは、まったく動かない。そこで一晩を過ごした。
 
 翌朝は、朝ドラの「ひよっこ」が放送中に飛び立ち、明るい庭の方へと向かったのはいいが、茶の間のガラス戸が閉まっている。戸を開けて、手で囲うようにしてヒオドシチョウを外へ誘導した=写真下。

 おそらく2年前も、同じように玄関先の若木で蛹化したのだ。羽化した時間は夜?で、外は真っ暗、しかし家のなかは明るい、光に誘われるようにして玄関から茶の間に入り込んだのだ――そんなチョウの誕生の瞬間を想像してみる。
 チョウになるために幼虫は気の遠くなるような冒険の旅をしてきたのではないか。ヒオドシチョウが食べる葉はエノキだという。エノキはわが家の庭にはない。近所にも見当たらない。どこで卵から孵ったかはむろんわからないが、しかし、どこからから地面をもごもごと歩いて、歩いて、わが家の庭までたどり着いた。と思ったら、暴風雨に襲われた。

 たまたま先着した2匹は蛹化の準備を始めたところに雨が降ってきて、雨宿りをしているようなかたちに見えたのかもしれない。

  きのうはまた、カミサンの幼友達から「(ブログに出てきた)フタトガリコヤガ可愛いです。あれは見てフタトガリコヤガであると、すぐわかるんですか?」というはがきが舞い込んできた。すぐわかるわけではないことは、以上の経緯でもおわかりいただけると思う。こうなったらチョウになるまで、毎日、観察を続けることにしよう。

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