2019年5月5日日曜日

令和4日目のお祭り

 だんだんよくなる法華の太鼓、いや天気だ。おととい(5月3日)に続いてきのうも朝から晴天になった。近所の立鉾鹿島神社の例大祭が行われた。
朝10時からの祭典に出席し、直会(なおらい)から早めに帰って、締め切りが近い仕事を再開した(仕事は古い写真のキャプション書きだ。もう4日目。意外と順調に進み、朝メシ前にも二つ三つ書いて、予定の半分を消化した)。

同神社の前を常磐線が横切る。というより、明治30(1897)年に水戸―平間が開通し、ほどなく平―草野―四ツ倉―久ノ浜間も汽車が行き来するようになった。同神社は平―草野の間にある。「本末」でいえば、参道=写真上1=が「本」で、線路が「末」だ。この日だけは、JRから職員が出て、神輿と人間が線路を横切るのを見守る。

 午後になって、気分転換をしたくなった。夏井川渓谷の隠居へ出かける。1週間前に植えた三春ネギの苗は倒れていないか、黒い虫がとりついていないか。苗は大丈夫だった。虫はやはりいて、小一時間で10匹ほど捕った。

 急に隠居へ出かけたのは、きょう(5月5日)、勿来関文学歴史館で開かれている「乙字のトランク」展を見に行くからだ。ついでに、勿来図書館に寄って、仕事に関係する本を借りる。そんなことをカミサンに話したら、植田・本町通りの歩行者天国に行きたいという。

勿来支局時代、地元の青年会議所に所属して、このホコ天に参加したことがある。その意味では懐かしい。同時に、古い写真について知っている人がいるかもしれない。
 それはさておき――。夕方、地域をぐるりと巡行してきた神輿は、わが家から2軒隣の歯医者さんの駐車場に鎮座した=写真上2。神輿の前にご夫婦が立ち、宮司の長男(禰宜)の祝詞を受ける。ここで酒迎えが行われ、さらに先へ行って折り返し、神社へ戻る。午後6時には終了の花火が打ち上げられた。

 神社としては、元号が平成から令和に替わったばかりで、新天皇・皇后の即位奉祝の意味もあったようだ。夜8時半、川向こうからも花火が聞こえてきた。こちらは大國魂神社の祭りの終了を告げる花火だった。ほかにもあちこちで初夏のお祭りが繰り広げられた。フェイスブックに写真がアップされていたのでわかった。

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