2019年5月17日金曜日

元同僚との語らい

 今は別の仕事に就いている元同僚(女性)が訪ねてきた。ときどき、仕事の合間に寄る。秋田県大仙市の「大曲の花火大会」を見てきたという。秋田と言えば、「いぶりがっこ」。「いぶりがっことチーズのパリパリ煎餅」=写真=を土産にもらった。
 大曲の花火大会は、夏ではないのか? BSプレミアムが毎年、生中継をする。「年に4回やってるんです」。驚いた。あとでネットで確かめたら、2019年度の開催日は、春・5月11日、夏・8月31日、秋・10月12日、冬・3月23日だ。花火・花火・花火・花火と徹底している。元同僚は春の花火大会を見に行ったわけだ。

 その前日には、やはり転職した元同僚(女性)が、入社したばかりの新人クンを連れてきた。社内の職場研修の一環らしい。

 私がいたのは地域の新聞社だ。40~50代の元同僚はたいがい面接している。そのときかどうかは、記憶が定かではない。人生とか夢とかに関して、彼女に聞かれてこう答えたそうだ。「この年(たぶん40代)になってもわからないよ」

そのころ翻訳されたミラン・クンデラの小説のタイトルと、もやもやした胸の内が重なった。人の話を聴いて記事を書くだけの暮らしに、「存在の耐えられない軽さ」を感じていた。そのもやもや感を消してくれたのが、週末の土いじりだった。大地に二本の足で立って野菜をつくっている、という「労働」の実感が、逆に今度はコラムを書くエネルギーになった。

「そのときはわからなくても、何年かたって、あのときいわれたことがこれだったか」と気づくことがある、と彼女は私に言葉を返しながら、新人クンにそのことを伝えているようだった。

それより何日か前の週末――。やはり別の仕事に就いた元同僚(男性)が共通の若い知人とともに、ローストポークや焼き鳥などを持って飲みに来た。カミサンがあらかじめ用意した食べ物がある。それをつつきながら、飲んで話しているうちに、「泊まっていけ」「泊まりますか」となった。

元同僚は、今は文章を書く仕事はしていない。が、若い知人は震災後、いわきへ戻ってきて、勤め先の広報紙におもしろいルポ記事を書いた。一読、ファンになった。彼を知るきっかけがこれだった。そんなことをさかなに痛飲した。

今、なにがはやっているのか、若い人はなにに興味・関心があるのか、いろいろ教えられた。「老いては若い人に学べ」である。

ローストポークはそのまま残ったので、別の日に晩酌をしながら食べた。やわらかかった。きのう(5月16日)、スーパーへ買い物に行ったとき、「ローストポークは?」と私が言い、カミサンが店員に聞いた。「買おうか」というのを制して、見るだけにした。新しく覚えた酒のさかながどんなところにあるのか、見ておきたかっただけだから。

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