座業の合間に洗濯かごと向き合う。封筒に入っているのは、30年以上前からの、役所や市民団体の会議の資料などだ。いちおう中身をパラパラやって“用済み”にする。
いわきの作家吉野せいの作品集『洟をたらした神』の注釈をライフワークにしている。いわきの文学に関する資料を集めているうちにそうなった。せいだけでなく、いわきの文学一般についても知りたいことがある。それらは、用済みにはできない。
おととい(5月14日)は、いわき市の山里、三和町で農林業を営みながら作家活動を続けた草野比佐男さん(1927~2005年)の手紙が出てきた=写真。詩集『村の女は眠れない』で知られる人だ(私はしかし、草野さんの本領は若いときの短歌にあると思っている)。
「前略、突然妙なものをお届けして申しわけありません。五册作って、一冊余ったので、さて、どう処分しようかと考えていたら、なぜかあなたの名前が思いうかびました。といっても、紹介とか書評とかを期待するわけではありませんので、責任を感じたりはしないでください」
妙なものとはワープロで打ち込んだ手製の『飛沙(ひさ)句集』『老年詩片』だった。後日、豆本になった『老年詩片』も恵贈にあずかった。消印は昭和61(1986)年3月8日だから、私が38歳、草野さんが59歳のときだ。
ワープロが出回り始めたばかりだった。いち早くそれに手を染めた進取の気性に驚いた記憶がある。
「ワープロで遊びながらの感想ですが、ワープロの出現は、表現の世界の革命といえるんじゃないかという気がします」「世の中が妙な具合になった時に、武器にもなるはずです」
その一例として、草野さんはフランスの詩人エリュアールやアラゴンのレジスタンス運動を上げた。ワープロの詩・句集を出したのは山太郎社。山太郎は「一山で最も大きい立木の呼称です。市内超最小の出版社だけれど、刊行物の内容は市内最高をめざすと、シャレたつもりです」
ワープロからパソコンへ、スマホへ――。草野さんの手紙から30年以上たった今、世界はインターネットでつながっている。個人の表現の手段としてのニューメディアは、権力への抵抗の「武器」だけでなく、市民が市民を攻撃する「凶器」にもなりうる。そのことを数々の事例が教える。草野さんもそこまでは想像できなかったろう。
表現する、つまり情報を発信する、という点に関しては、いつも「新聞倫理綱領」が頭に浮かぶ。草野さんの手紙のほかに、平成6(1994)年の新聞手帳も出てきた。表紙の裏に記者の言動に関する戒めが印刷されている。そのなかに「人に関する批評は、その人の面前において直接語りうる限度にとどむべきである」という一文がある。これをネットで実践できるかどうか、ではないだろうか。
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