2019年5月1日水曜日

平成から令和へ

 きょう(5月1日)の新聞の年号が「2019(令和元)年」に替わった。きのうは30年ちょっと続いた「平成」最後の日。天皇の死とともに「昭和」が終わる日までの重苦しさと違って、今回はメディアにも周囲にも慶祝ムードが広がる。
 昭和から平成へ――。小さなローカル新聞社で新聞づくりをしていたころ、昭和天皇が倒れ、秋にソウル五輪が行われた。

「隣の国、韓国では連日の晴天なのに、とにかくよく降る雨である。心が晴れない分、オリンピック観戦にも熱が入らない。(略)テレビはちょくちょく番組を変更してご容体を報じている。体温が39.2度にまで上がった土曜午後には、放送記者やキャスターの表情が硬くなり、声も上ずっていた」(昭和63年秋のコラムから)

 容体悪化の報から始まった自粛ムードが、同64年1月7日の逝去を機にピークに達した。逝去を報じるその日の新聞から広告が消えた。なぜいつもの新聞づくりをできなかったのか、という悔いが残る。

 平成から令和へ――。退位のもつ明るさだろうか。きのうの新聞折り込みに「令和元年初売り!」を告げるスーパーのチラシが入っていた=写真上。今朝はさらに何枚も「奉祝令和」「祝 新元号令和」などのことばが躍る。慶祝ムードが社会に広がっている証拠だろう。

ネットには「4月30日は『平成の大みそか』」とあった。すると、今朝は「明けましておめでとうございます」となるわけか。実際、「おめでとう令和祝祭」のチラシがあった。正月の初売り並みの意気込みが感じられた。

 それはさておき、きのうは朝10時ごろ、いわき郵便局へ定形外郵便物を出しに行った。ここにも改元の「記念押印」コーナーが用意されていた。夕方、古巣のいわき民報へメールで原稿を送ったついでに、ホームページを開くと、電子号外がアップされていた=写真下。
10連休をそのまま休刊にするわけにはいかない。まずは日・月・火の3連休にした。で、「平成」最後の日なので号外を出した、ということなのだろう。郵便局の記念押印の記事も載っていた。

 家に戻ると、雨が小やみになったすきを見て、「広報いわき」5月号を区の役員さん宅に届けた。表紙には「令和元年(2019)」とある。

締めは、晩のごはん。カミサンが「きょうはすしにしよう」。慶祝を理由にすれば手を抜くことができる。スーパーへ出かけた。やはり、ここでも「令和の初売り」に力を入れていた。レジに5月1日は「紅白大福」をプレゼントする、という張り紙があった。

元号は替わった。しかし、わが家の日常は変わらない。締め切りの迫っている仕事がある。きょうから何日か、図書館へ通って資料探しをする。

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