カミサンは、植田の町はよく知らない。私が昭和56(1981)年10月から3年間、いわき民報勿来支局に勤務したとき、たまに訪れただけだ。
支局時代は勿来青年会議所(JC)に入っていた。会社の営業政策でもあった。植田の「ホコ天」では、JCはイベントで協力した。それ以来35年ぶりの歩行者天国だ。
35年前のホコ天と今はずいぶん違う印象を受けた。35年前も人は出たが、まだ通りでイベントをやる余裕はあった。ところが、今は道の両側に露店が連なり、その間を人間がひしめきあって行き交っている。にぎわいとしては、平の七夕まつりと変わりがない。
様変わりしたのは、それだけではない。シャッターを下ろしたままの店が増えた。あちこちに空きスペースもできている。そのスペースを利用して水素自動車などの展示が行われていた。
モータリゼーションの波が押し寄せると、郊外型の大型店に客を奪われて路線商店街はさびれていく。35年前に言われた流れがずっと続いているような印象を受けた。
手に入れたチラシを見ると、ホコ天は今年で41回目だ。「復興・交流祭」と冠が付いていた。すると、私がJCの一員としてかかわったのは4~6回目ということになる。
それはそれとして、主催側(うえだ商店会)に知った顔がいるはず――と思って探したが、元JC仲間の商店会長をチラッと見ただけだった。当時のJC仲間は何人かがまちづくり団体に関係している。彼らの姿もなかった。
35年もたてば、商店の経営者は代替わりをしている。跡継ぎがいなければ廃業か、別の業種に転換している。そんな通りが1年に一度、ホコ天になって人であふれる。市外、いや市内のよその地区から人を呼び込むようなイベントではない。近場の人がこんなに集まるのは、やはり40年以上の伝統があるからだろう。
ちょっと複雑な気持ちになりながら、35年前にもあったそば屋で昼食をとったあと、植田を離れた。
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