2019年5月7日火曜日

企画展「乙字のトランク」

「近代俳句に大きな足跡を残した大須賀乙字(本名・績=いさお)はいわき市ゆかりの俳人です。また俳論家としても著名です。父筠軒(いんけん)は、磐城平藩の学者で後に第二高等学校の教授となった漢学者・漢詩人として知られています」
 勿来関文学歴史館で2019年度最初の企画展「乙字のトランク――大須賀乙字と近代俳句」が開かれている(7月16日まで)。引用した文章は、リーフレットの表紙=写真=に載る館長のあいさつの冒頭部分。

乙字は、私たちが今、当たり前に使っている「季語」ということばを初めて用いた人間でもある。

明治14(1881)年に生まれ、いわき市平で育ったあと、父の転職に伴って福島県尋常中学校(現安積高校)に入学し、のちに第二高等学校から東京帝国大学国文科に進んだ。大正9(1920)年1月20日、インフルエンザ(スペイン風邪)による肺炎で、38歳で亡くなっている。

 もう9年前になる。ゴールデンウイークに、いわき地域学會の若い仲間とひたちなか市へ「乙字のトランク」を見に行った。乙字の最初の妻(宮内千代)の出身地(旧那珂湊町)で、その血筋に筠軒・乙字関係資料が残っていた。企画展は、このうち乙字関係資料を紹介するかたちで構成された。

館長はいわき地域学會の仲間でもある中山雅弘さん。もともとは考古学の人間だが、文学にも明るい。『上泉秀信の生涯』という評伝も出している。今度の企画展に関しても、いろいろ調べたらしい。

おととい(5月5日)の朝、見に行ったら、館長が出てきて解説してくれた。新しくわかったことがあるという。帝大の卒論は「俳諧論」。長らく「源氏物語」のような古典が学問とされていた時代、帝国大学の国文科1期生で江戸時代の俳諧を卒論に扱うのはあり得ないことだった。が、ドイツ留学から帰国したばかりの指導教官・芳賀矢一教授がこれを認めた。教授あっての乙字だったらしい。

もう一つ。乙字は高浜虚子(本名・清)や河東碧梧桐と交流があった。企画展では、乙字あて虚子の手紙2通が展示されている。虚子の全集にも収録されていない、その意味では“新発見”の資料だ。解読文も併せて展示されている。

展示物の一点一点が近代俳句の一級資料である。館長の解説付きだったこともあって、展示スペースの狭さを忘れて資料に見入った。

 ついでに宣伝をひとつ。いわき地域学會の今年度(2019年度)最初の市民講座は5月18日午後2時から、いわき市文化センター視聴覚教室で開かれる。会員でもある中山館長が「大須賀乙字と近代俳句」と題して話す。

乙字は来年(2020年)、没後100年を迎える。節目の年を前に、乙字といわきのつながりを知るいい機会だと思う。企画展にも市民講座にも、ぜひおでかけください。

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