「天日燦(さん)として焼くがごとし、いでて働かざる可(べ)からず」(ヨシノ・ヨシヤ)。土いじりをしているときに太陽が照りつけると、いつもこの言葉を思いだす。「働かざる可からず」は二重否定、「働く」ことを強調している。つまり、「働かなければならない」「働かないわけにはいかない」。
山村暮鳥が自分の長編詩「荘厳なる苦悩者の頌栄」のタイトルのわきに引用した。ヨシノ・ヨシヤは暮鳥の詩友、好間村(現いわき市好間町)の開拓農民吉野義也(三野混沌)のことだ。
意味としては、ギラギラ照りつける太陽の下、大地に立って額に汗して働くぞ――だろう。暮鳥は農の営みに人間本来の労働の姿をみたが、家庭菜園を始めてからは、それは危険と背中合わせでもあると自分に言い聞かせている。がんばりすぎると、熱中症になる。そうならないよう、太陽が昇ったばかりの朝飯前に土いじりを終えて、あとはだらだら過ごすことにしている。
ネギの溝の周りの草むしりをしながら、1週間前に植えたキュウリと鷹の爪の苗に水をやる。水は、風呂場からホースを伸ばして蛇口をひねるだけ。モーターで井戸からポンプアップしている。電力自体、冷蔵庫と日曜日だけの利用なので、基本料金に毛が生えた程度しかかからない。
朝飯を終えるとやることがない。急に車を洗うことを思い立った。カミサンが「何年ぶり? 珍しいこと!」といいながら、パチリとやる=写真。先の大雨できれいにほこりが洗い流されたと思ったら、たちまち黄色い花粉のようなものが車全体を覆った。それを洗い流した。やってみると、気持ちがいい。そのあと、車を涼しい樹下に移動した。
さあ、帰るぞという段になって、ハシボソガラスが1羽、頭上を横切って、車の上の木に止まった。写真が撮れるかも――カメラを取りに動きかけた瞬間、カラスが向きを変えながらフンをして飛び立つ。
「あれれッ」。フンが落下したところは……バックドアだった。だらりと一筋、透明な汚物が付いている。あわてて水で洗い流した。こいつもまた、<珍しいことをしている、いたずらしてやれ>となったか。
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