2019年8月6日火曜日

「体力減退」から閉店

もう5日前のことだ。8月1日付の福島民報社会面に「閉店のお知らせ」(広告)が載った=写真。カミサンが見つけた。いわれて読むと、「高齢による体力の減退が激しく……」とあった。
いわき市東田町1丁目の「グリル越田和」。昭和47(1972)年に、旧市街の植田町本町に開業した。越田和といえばガーリックハンバーグ、ガーリックハンバーグといえば越田和。そのくらいにガーリックハンバーグが有名だった。

同56(1981)年10月から3年間、いわき市平に本社のあるいわき民報の勿来支局に勤務した。最初は単身赴任だったが、やがて通勤に切り替えた。昼食は支局向かいの中華食堂で、夜はときどき本町1丁目か2丁目のグリル越田和でビールを飲みながら、ガーリックハンバーグを食べた。

しょっちゅう出かけたのは広告スポンサーでもあったから?――。37年前のことなので、記憶があいまいになっている。図書館へ行って、いわき民報の縮刷版をチェックしたら、広告は見当たらなかった。すると、単純にガーリックハンバーグが好きで通っていたのか。

最初の店はヨットのキャビンのように細長かった記憶がある。カウンターをはさんで厨房があり、夫であるシェフがつくった料理を奥さんが運ぶ。ほかに客がいないときには3人で長々とおしゃべりをした。

私が33歳から36歳のときである。平の本社に戻ったあとは、自然と足が遠のいた。そのうち、区画整理の進んだ東田町に移転したことを知る。59歳で会社を辞めてから、2回ほど東田の店を訪ねたが、スペースが広く、従業員も複数いて盛況だった。あいさつするどころではなかった。

シェフは、私よりは年上だが、一回りも上ではなかったはずだ。中をとって5~6歳上だとしたら、今、70代後半か。47年も厨房に立ち続けたわけだから、体力に限界を感じるのも無理はない。「高齢による体力の減退が激しく」のあとにはこう続く。「仕事を続ける事が困難になり、7月をもって閉店とさせて頂きます」。シェフらしい、率直な「閉店のお知らせだった。

 もう一度ガーリックハンバーグを、という思いよりも、支局時代のお二人とのやりとりが懐かしく思い出された。

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