鹿島に住む2人の知人のブログによると、崩落前の岩体はこんな状況だった。家の土台石や石塀に使うため、昭和30年代初めまで岩体から石の切り出しが行われた。そのため、内部には空洞部分があった。鹿島街道が直線化されるとき、岩体のすそ野が削られた。岩質は凝灰岩なのでもろい。鎌倉時代に彫られた摩崖仏もかなり風化が進んでいた。
市の文化財に指定された当時から、「岩体崩落への強化処置」が課題になっていた。目の前の県道を通る車の振動、排ガスの影響も懸念されていた。で、道路に面して落石防止用のフェンスが設けられ、立ち入り禁止の看板も立てられた。
いわき民報がホームページを「臨時更新」して速報した。それによると、24日午後11時ごろ、山崩れが起き、約40メートルにわたって道路をふさいだ。付近1・5キロが交通規制された。人的被害はなかった。暫定復旧には1週間がかかるという。
もう28年前になる。大谷石を採掘した栃木県大谷町の地下の廃坑で、大規模陥没事故が起きた。大谷石(軽石凝灰岩)の採石場をうたった、作家で詩人の伊藤桂一の散文詩「石の国の風景」を思い出した。当時、いわき民報で連載していた拙コラム「みみずのつぶやき」から引用する(かぎかっこ部分が詩)。
――大谷石は地下から切り出される。崩落防止のため、五間四方を掘っては同じ容積だけ残していくのだが、百メートルも下に掘り進むと、「五間四方の石の柱は、まるで線香でも立てたように、細く、たよりなくみえる。石の柱は、風化し、微動し、なにかの作用でふいに崩れる。すると、石の奈落の底にいる人たちは、石の大破片の下敷になり、そのまま石のなかにはめ込まれてしまうのである」――
鹿島の岩体の内部にある石の柱も、「風化し、微動し、なにかの作用でふいに崩れ」たか。その「なにか」のひとつが、2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震だったかもしれない。
きのうの夕方、用があって出かけた帰りに現場を見た=写真。道路の片側を土砂と岩のかけらが埋めていた。あとで、知人のフェイスブックで知ったが、摩崖仏は無残な姿をさらしていたという。
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