2019年8月29日木曜日

ホームステイ①顔を合わせるまで

発端は3年前――。スペイン中部のラ・マンチャ地方、トメジョーソに住む画家阿部幸洋が毎年、ふるさとのいわきで新作展を開く。彼とは20代からの付き合いだ。「ラサロの弟が大学で日本の歴史を教えている。いわきに来たいと言っている。そのときはよろしく」
ラサロは、阿部の妻・すみえちゃんが亡くなる前、かわいがっていた近所の子だ。36歳になった今は、「アート&デザイン」の仕事をしている。すみえちゃんが亡くなって間もない平成22(2010)年2月、阿部の個展に合わせて来日し、わが家へも顔を出した。

その弟・ダニエル(32)は高校生のとき、すみえちゃんに日本語を習った。日本に興味があって勉強を続けたらしく、今は地元のUCLM(カスティーリャ=ラ・マンチャ大学)で教鞭をとっている。大学はトメジョーソから西に100キロほどの県都シウダー(ド)レアルにある。車ならトメジョーソから2時間の距離だ。

ダニエルはこの2年間、夏休みを利用して日本、そして去年はいわきを訪ねている。3年目の今年(2019年)は、いよいよわが家(正確には、道路向かいの故伯父の家)へ――となった。

まずは、5月下旬。グラナダといわきを行ったり来たりしているヤヨイさんから、フェイスブック経由で阿部がメールアドレスを知りたいといっている、と連絡が入った。東日本大震災が発生したとき、ラサロからメールをもらったが、こちらの連絡先がわからなくなったのだろう。ヤヨイさんにアドレスを送り、転送してもらう。

 6月24日、ダニエルから最初のメールが入る=写真。8月15日から25日(実際には24日)までいわきに滞在したい、幸洋さんが「たかはるの家に泊まれる」といっていた、とてもうれしい――といったことが、超文法の文章で書かれていた。

 翌25日、今度はラサロからメールが届く。スペイン語で書いた文章を自動翻訳機にかけて出てきた日本語の文章をそのまま送ってきたような印象だ。一度会って話したことがあるだけに、意味はなんとか読みとれる。メールの末尾には、9年前にいた猫が生きているなら、こんにちはといって、とあった。

 7月下旬には、「1週間前に日本に着いた、私たちはスペインのテレビのためのドキュメンタリーに取り組んでいる、日本中を旅行している」というメールがダニエルから入る。私たち? 妻と一緒だった。そして8月13日早朝、「あさっていわきに着く」、15日朝には「札幌からいわきまで10時間半ぐらいかかる、いわき駅には夜の7時過ぎに着く」というメールが――。

 問題はいわき駅からわが家までの足だ。夜、私が街で酒を飲んだときそうするように、駅前からタクシーに乗る、運転手に「かべやの旧道、お願いします」という、降りるときは――と、メールで手順を説明したが、通じなかったようだ。「あとは電話で」と念を押しても、電話もかかってこない。

そのうち7時半になった。タクシーを使えばとっくに着いていい時間だ。パソコンを開いてメールをチェックする。ん!「いわきに着いています。草駅にも行きます」。草駅? 草野駅か。常磐線の時刻表を確かめると、いわき駅発19時25分、草野駅着同30分の広野行きの電車があった。不意を突かれた。

まだアルコールを口にしていなかったので、あわてて草野駅へ車を走らせた。が、駅には車も人もいない。改札口に立って暗いホームを見る。と、事務所に駅員がいる。窓ガラスをトントンやると、やって来た。「外国人が降りなかったですか」「降りた、男と女」。了解! 歩いてわが家へ向かっているのだ。お礼を言って、車に戻る。

2人は最初からタクシーには乗らず、電話もかけずに、歩くつもりだったのだ。スマホで確かめたら、わが家まではいわき駅より草野駅の方が近い。何分かかろうが、とにかく歩けばいつかは到着する。そんな判断をしたのだろう。

すでに夜である。道は暗い。それらしい歩行者を探しながら、ゆっくり進むと、草野駅とわが家の中間、神谷マルト店の手前右側歩道を、大きなトランクをガラガラ引いて進む2人が目に入った。車を止めて大声で尋ねる。「ダニエル?」「そうです!」。時間にすると小一時間、気をもんで、もんで、もんだ末にやっと2人をピックアップした。

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