2019年8月16日金曜日

メキシコからの手紙

 月遅れの盆の入り(8月13日)に、メキシコから航空便が届いた=写真下1。いわきの画家峰丘が青春のひとときを過ごした同国へ渡って1カ月余。手紙には、世界文化遺産に登録された中央高原のまち、サン・ミゲル・デ・アジェンデに住んでいる、結婚してすぐ3年間、このまちで暮らした――といったことが書かれてある。
すると翌14日には、同趣旨の文章(寄稿)がいわき民報の1面に載った=写真下2。峰は昭和52(1977)年4月8日から翌53年3月8日まで、毎週水曜日、40回にわたって同紙にエッセー「カラベラへの旅」を連載した。私が担当した。いわば、ざっと40年ぶりの続編だ。随時、掲載されるらしい。
70歳を過ぎて、三度目のメキシコ暮らしに踏み切ったのは、昨年(2018年)秋、いわき市立美術館で企画展「峰丘展――カラベラへの旅」が開かれたことが大きい。生きているうちに“回顧展”が実現したのを機に、もう一度原点に戻って生きなおす、という気持ちになったのだろう。

 昨年の企画展に合わせて、同美術館友の会の会報で峰丘の特集を組んだ。本人の希望で以下の文章(長いです)を書いた。タイトルは「みんなカラベラになる」。峰との40年余のつきあいが土台になっている。
                 ☆
スペイン語で「骸骨」を意味する「カラベラ」という言葉を知ったのは28歳のときだ。
昭和51(1976)年11月19~24日、草野美術ホールで「峰丘 メキシコ展」が開かれる。市民は会場いっぱいに展示されたカラベラの極彩色の絵に度肝を抜かれた。
新聞記者5年目の私は、警察回りや展覧会担当から市役所担当に替わっていた。同ホールに出入りする一展観者として、同年齢の峰と出会い、メキシコのカラベラ文化を知った。日本では、忌み嫌われる「骸骨」が、メキシコでは笑いと再生の象徴として、暮らしの中に溶け込んでいる。虚を突かれる思いがした。
 人間は死ぬために生きる矛盾に満ちた存在だ。ならば、メメント・モリ、死を思いながらおおらかに生きていこう――湿っぽい「骸骨」にカラッとした「カラベラ」が融合し、死と生の意味合いが少し豊かなものになった。

これは峰丘著『カラベラへの旅』(PMC出版、1986年)を読み返して思い出したのだが、メキシコの新聞「週刊日墨」に掲載された文章が個展会場に展示されていた。それを見て、私がいわき民報への連載を打診した。
(略)あえて連載企画の趣旨を述べれば、読者には、異文化に触れることで偏見・先入観をほぐし、自分たちの暮らし方を見つめ直してほしい――そんな願望があった。
 峰の文章には歩行者の視点とリズムがあった。じっくり世界を観察し、耳を傾ける。そこから立ちのぼってくる滋味を、私は好んだ。ひょっとしたら、オレは絵描きである前に物書きである峰の文章のファンなのではないか、なんて思った。
文章に触れることで、さらに「人間は服を着たカラベラである」という認識が深まった。「歩くカラベラ」「考えるカラベラ」でいこうという自覚が増した。「カラベラへの旅」を機に、「カラベラの旅」が始まったのだ。今もその旅は続いている。

平成23(2011)年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生する。人類が初めて経験する「原発震災」だった。それから5年後、11月恒例の個展の案内に、「ここ数年の体調の変化に、自分の生き方やメメント・モリを考えることが多くなりました」とあった。3・11を機に、文明の災禍に対する深海魚の怒りが加わった。画面からカラベラは消えたが、「怒るカラベラ」が生まれた。

(略)平成28(2016)年10月23日「いわきの現代美術の系譜」と題するシンポジウムが、平・大町のアートスペースエリコーナで開かれた。
 1部では、私と書家田辺碩声(敬称略、以下同じ)、佐々木吉晴いわき市立美術館長の3人が順に登壇した。2部では、さらに写真家上遠野良夫、峰が加わり、美術家吉田重信を司会に6人で座談を繰り広げた。
 テーマは、市立美術館の建設へとつながった市民団体「いわき市民ギャラリー」の活動と、その推進力になった画家松田松雄の人と作品を振り返り、いわき現代美術黎明期の熱を次世代に伝えていく――というものだった。
 私は「市民ギャラリー・前史」を念頭に、同ギャラリーを生み出す母体となった草野美術ホールと経営者の故草野健について話した。
 草野は昭和44(1969)年、こんにゃく屋を廃業して貸しビル業に転身し、3階に大きな展示場を設けた(最初は「渡辺ホール」、1年後に「草野美術ホール」と改称)。いつかは美術館を、という夢の実現に向けて、画家たちに安く、ときには出世払いで発表の場を提供した。やがて、立て続けに個展・グループ展が開かれるようになった。
 草野はまた、人と人とをつなぐネットワーカーでもあった。新米記者だった私はそこで阿部幸洋(現在はスペイン在住の画家)と松田に会い、田辺を引き合わされ、メキシコ帰りの峰を知った。「生涯の友」といえる人間とは、学生時代を除けば、この草野美術ホールで出会った。
峰と私は「草野美術ホールの同窓生」でもあった。

それだけではない。峰は、私が代表幹事を務めるいわき地域学會の副代表幹事も務める。画家と記者というより、一個人としての付き合いが途切れることなく続いている。集まりがあれば「飲み、食い、話し、笑うカラベラ」になる。
今ふと思ったが、カラベラには悲観や絶望、あるいは偽善に押しつぶされそうになっても、それをはねかえす力、ユーモアが備わっている。人間は生きているときからカラベラなのである。カラベラに、カラベラをいわきにもたらした絵描きに乾杯!

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