2019年8月27日火曜日

岩山が崩れたワケは?

 きのう(8月26日)の続き――。先端に摩崖仏のある岩山が、土曜日(8月24日)深夜、崩落した。いわき市平と小名浜を結ぶ基幹道路・鹿島街道沿いで起きた大事故だ。さいわい人的被害はなかった。
 夕刊・いわき民報=写真=で事故の詳細を知る。岩山では戦前から戦後にかけて、石が切り出された。内部に大きな空洞ができていた。岩質は砂質凝灰岩。もろいために自然風化と崩壊が著しかった。これに鹿島街道拡幅工事による岩肌露出、通行車両の微震、排気ガス、度重なる地震や近年の集中豪雨など、さまざまな要因が重なって大崩落が起きたらしい。

 近隣住民が事故のおよそ1時間前(午後9時50分ごろ)、「“ダダダダ”という大きな物音を二度ほど耳にした」そうだ。市指定文化財の「久保摩崖仏」を所有・管理する地元の金光寺住職なども、岩山は空洞化して内部の支えが弱く、「疊大の岩が落下することがしばしば」といっているから、内部の崩落が絶えなかったようだ。

 事故の一報が入ったとき、真っ先に思い浮かんだのが風化した摩崖仏の姿だった。それから、そばの旧道が脳裏に浮かび、住職の心痛を思った。

半世紀以上も前の昭和30年代後半、平―小名浜間をほぼ直線的に拡幅する工事が行われていたころ、平高専(現福島高専)が沿線に開校した。私は3年目に入学した。学校から平寄りの新・鹿島街道はまだ工事中で、未完成の道路を利用して平(現いわき)駅前へ遊びに行くのに、今でいうヒッチハイクでダンプカーに乗せてもらったこともある。

バスはくねくねして狭い旧道を通っていた。初期の通学生はこのバスで街と学校の間を往復した。

それよりさらに10年ほど前の記憶――。祖母に連れられて阿武隈の山里から汽車で平(現いわき)駅に着き、鹿島街道経由の路線バスで小名浜へ行ったことがある。小名浜に叔父が住んでいた。平市から磐城市鹿島町に入ると、それこそ当時はやった歌謡曲、♪田舎のバスはおんぼろ車(ぐるま) デコボコ道をガタゴト走る……(三木鶏郎作詞・作曲、中村メイ子歌「田舎のバス」)そのものだった。

山裾を縫うようにして狭い道をくねくねと進んだバスは、摩崖仏のある岩山の先端を回りながら鹿島・御代~小名浜へと向かったように記憶している。

摩崖仏を所有する寺の住職とは、若いころ、職場を共にした。私より2歳年上だが、職場へは少し遅れて入ってきた。早々と記者を辞めて、京都へ茶の修行に行った。それもあって、今度の事故ではヤジウマではいられない。

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