同じNHKの「ファミリースト-リー」にも「選」が付いている。月曜日(5月25日)はお笑い芸人のケンドー・コバヤシ。ネットで確かめたら、2016年10月に放送されたものだった。
晩酌しながら、見るともなく見ていたら、彼の祖父がソ連に抑留され、ウズベキスタンで鉄くずなどを使ってつくったという金属のスプーンがアップされた=写真上。祖父は小学校の先生。日本へ帰還して復職し、最後は校長を務めた。収容所の食事は黒パンとスープだけ。いのちをつなぐためには、スープを一滴も残さない、そのための自作のスープだったそうだ。
金属のスプーンを見ながら、いわきにも同じようにシベリアへ抑留されて、木のスプーンをつくった人がいることを思い出した。
東日本大震災の2年前、2009年6月――。いわきフォーラム’90主催のミニミニリレー講演会で、平のごく狭い地区に住む複数の人が聴き語り形式でシベリア抑留体験を伝えた。そのとき、バッグや靴とともに自作のスプーンが展示された=写真右。
過酷な労働と粗末な食事、仲間の衰弱死、望郷……。講演当時85歳の体験者3人と、亡くなった1人の奥さんの計4人が淡々と、ときに嗚咽(おえつ)を抑えながら語る体験談に聴き入った。
立花隆の『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』(文藝春秋)に、<再録「私のシベリヤ」>が収められている。若く無名だったゴーストライターの立花(当時29歳の東大哲学科の学生)が香月にインタビューし、香月の名前で本になった。やはり、木のスプーンの話が出てくる。
「伐採した松の枝を少しへし折ってきて、収容所に帰ってから、スプーンをこしらえた。ハイラルにいるころ、立派な万能ナイフを拾ったことがある。(略)ネコババしてシベリヤまで持ってきていた。何度かの持物検査でも、無事に隠しおえてきた。このナイフとノミで形をつくり、後は拾ってきたガラスの破片で丹念に磨いて仕上げた」
収容所ではいかにスプーンが大切だったか、をうかがわせるエピソードでもある。ケンドー・コバヤシの祖父を通して、「いのちをつなぐスプーン」がまたひとつ、心に刻まれた。
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