いわき地域学會が発足したのは昭和59(1984)年秋。私も誘われて入会した。それから2年後の昭和62(1987)年、勤務していたいわき民報で週1回、1年間、主に会員の寄稿による「わが町ウオッチング」を企画した。
さらに翌年からは週1回の年間企画として、夏井川を皮切りに、いわき市内を流れる鮫川、藤原川の「流域紀行」を連載し、水源の「あぶくま紀行」、河口=沿岸部の「浜紀行」を手がけた。いずれも地域学會のメンバーがそれぞれの専門知を生かして、交代で執筆した。これらは単行本になった。いわきの「川3部作」に水源・沿岸域を加えた「いわき5部作」だ。(ほかにも好間川、大久川、新川の流域紀行を手がけている)
いわきは広い。広いいわきをてのひらにのせて語れるような方法はないものか――。ゴルフ場とごみ処分場の建設計画が持ち上がり、水環境問題が起きたとき、いわきを「市域」ではなく「流域」で見ることを提案した。その連合体とみれば、いわきは決して広くはない。
いわきは夏井川(北部)・藤原川(中部)・鮫川(南部)の三つの流域から成り立っている(大久川流域は便宜的に夏井川流域として扱う)。そこに人口が密集した平・小名浜・勿来の三極がある。それぞれの流域にはハマ・マチ・ヤマがある。3極3層の地域構造。それを、わかりやすく、総合的にエッセーとして紹介しよう、いわきを深く考えるテキストをつくろう、という狙いで「いわき5部作」ができた。
平成6(1994)年にはさらに、いわき地域学會創立10周年、翌7年は敗戦から満50年の節目の年を記念して会員から手記を募り、『かぼちゃと防空頭巾――いわきの戦中・戦後を中心に』を出版した。この7冊でいわきの自然と人間の関係、庶民の近代史はおおよそがつかみ取れるのではないか、と思っている。
蛇足ながら、写真の並べ方について説明すると――。下が左からハマ・マチ・ヤマ、上が鮫川・藤原川・夏井川各流域、そして右端の本がいわきで暮らしている市民のそれぞれの人生と、地理的な配置と時間軸を組み合わせたつもり。なにかいわきの地域のことで手がかかりをつかみたい、と思ったときにはヒントが埋まっているかもしれない。
1 件のコメント:
いわきの地域文化のことを知る手がかりになるだけでなく、地域文化の掘り起こしからのヒントも得られそうで、とても興味深い本です。江頭
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