大学生の“孫”の母親がフェイスブックにアップしていた大きな石(花こう岩)に見覚えがあった。アート作品も併せて紹介していた。
懇意にしている美術家の吉田重信クンが以前、ある「社屋の天井」に自作品を飾り付ける様子を、やはりフェイスブックで報告していた。それらの情報をつなぐと、その社屋の名称と所在がわかった。建物の完成に合わせてアート作品の見学会でも行われたのだろう。
いわき市四倉町のいわき四倉中核工業団地に、メッキ加工の東新工業(本社・横浜市)が進出した。いわき市内では好間中核工業団地に続く2番目の工場だ。
同社は、いわきとのつながりを大切にしたい、という思いから、「時空を繋(つな)ぐいわきの光と風」をテーマに、建物内外を10点のアート作品で飾ったそうだ。
工場建設を請け負ったのはいわき市の堀江工業。同社の創立百周年記念誌『百年の軌道』(2020年1月刊)で東新工業にも触れている。好間の工場をつくり、今度また四倉の工場をつくった。それで、巨石がモニュメントとしてそこにあるワケがわかった。巨石は「卵石」と命名された。
私がゴジラの卵のような巨石に引かれるのは次のような経緯からだ。去年(2019年)8月8日の拙ブログで、「大きな玉石、なぜそこに」と題してこの石について書いた。のちにわかったことも含めて概略を載せる。
――そこは、渓谷を下ってきた夏井川が間もなく平野部に出るあたり、いわき市小川町上小川字高崎地内の土木工事現場だ。夏井川と県道小野四倉線、JR磐越東線の間に水田が細く長く伸びる。線路と道路をまたぐ橋をつくる過程で出土した巨石がはじっこに据えられた=写真。
『土地分類基本調査 平』(福島県、1994年)の地形分類図を見ると、集落のある高崎は河岸段丘、水田は上流からもたらされた堆積物によってできた谷底(こくてい)平野だ。田んぼの地中深く、巨礫(れき)=巨石があってもおかしくない。
水田のそばを流れる夏井川自体、河原に石がごろごろしている。上流の渓谷は、それこそ大きな玉石だらけだ。橋と道路が完成したら、巨礫をモニュメントに生かしたらいい――。
四倉・玉山を起点、小川・高崎を終点にした「福島県広域農道」(約10キロ)の建設が進められている。施工業者は堀江工業だ。四倉分の工事は終わったが、小川分はまだ終点部が残っている。空に橋が架かり、道路が県道に接続すれば、夏井川渓谷にある隠居への行き帰りがかなり便利になる。その日を待ちながら、日曜日のたびに進捗(しんちょく)状況を頭のなかで更新している。その中で、去年夏、「卵石」が突如、出現した。形の美しさ、大きさに感動した。
それがいつの間にか姿を消した。破砕されたのか、どこかへ運ばれたのか。今回、冒頭の“孫”の母親と堀江工業の情報で頭のモヤモヤが晴れた。同社によると、「卵石」の直径は2.7メートル、重さは25トンだ。
同社のフェイスブックには、四倉の新工場に設置されたモニュメント(卵石)、小川で掘り出された際の様子、巨大トレーラーで巨石を運び出す様子が載る。重さが重さだけに、ダンプカーでは無理。ボデーの低い超ロングのトレーラーにしか載せられなかったのだろう。それほどに存在感がある。
石を好んだ草野心平がこんな詩を書いている。「雨に濡れて。/独り。/石がいた。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。」。心平の直感にならって、いつか「卵石」と対面して「億年」の物語に耳を傾けたいものだ。
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