久しぶりに孫の送迎を引き受けた。迎えに行ったついでに家のそばの田んぼ(三方には家が建ち、そこだけ1枚残った)を見たら、水稲の間に白い花が咲いている。中干しなのか、田んぼに水はない。黒い土がむき出しになっていた。あぜの近くにも、ベンツのエンブレムのような、鋭くとがった三つまたの葉と白い花がある=写真。オモダカだ。
夏井川渓谷の小集落にある田んぼでも、同じ花が咲いていた。カミサンは「カヤツリグサじゃないの?」というが、そのときは名前がわからなかったので、黙って写真を撮るだけにした。
矢尻(やじり)のような葉と白い3弁花。葉にはなんとなく記憶があった。カヤツリグサではなく、オ・モ・ダ・カ。名前を思い出してネットで検索すると、一発でたどり着いた。
オモダカは水田や湿地、ため池などに自生する。稲作農家にとっては田んぼの養分を奪う厄介者だ(「難防除雑草」という言葉もあるようだ)。で、中干しは稲だけでなく、オモダカ退治にも効果が期待できるらしい。
阿武隈の山里に生まれ育った。夏休みには川で水遊びをし、田んぼの用水路で魚捕りをした。それとは知らずに、オモダカの花と三角形の葉を見ていたにちがいない。
ネクタイをして、街場で仕事に追われるようになると、田んぼもあぜ道も用水路も遠い風景になった。毎週日曜日、渓谷にある隠居で土いじりをするようになって再び、畑の草や近所の田の草などが目に入るようになった。以来、仕事も含めて「現場」に立って考えること、向き合うものは大きな物語ではなく小さな物語、つまりは日常の「個別・具体」であること、と決めている。
オモダカ(漢字では沢潟)は、大正~昭和初期の詩人や作家が好んで使いそうな音の響きがある。宮沢賢治の詩「青森挽歌」や、草野心平の詩「青イ花」に出てくる。
「青イ花」は片仮名に漢字が交じった短詩だ。<トテモキレイナ花。/イツパイデス。/イイニホヒ。イツパイ。/オモイクライ。/オ母サン。/ボク。カヘリマセン。/沼ノ水口ノ。/アスコノオモダカノネモトカラ。/ボク。トンダラ。/ヘビノ眼ヒカツタ。/ボクソレカラ。/忘レチヤツタ。/オ母サン。/サヨナラ。/大キナ青イ花モエテマス。>
中干しの田んぼに子ガエルがいた。オモダカの茎の根元からぴょんとはねたとたん、そばにひそんでいたヘビにぱくりとやられた。ヘビの体内で、薄れゆく意識のなかで、母ガエルにさよならを言い、青い花のような幻影に包まれた、ということを描写しているのだろう。鋭くとがった三つまたの葉の下で繰り広げられる生と死――。
とりあえず、孫には、今ごろ、田んぼにこんな白い花が咲き、こんな形の葉を持った植物・オモダカが生える、ということだけを教える。ジェット機のような葉に少し驚いたようだった。
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