2020年8月25日火曜日

人が集い、憩える街角

 いわき市の中心市街地・平には、人が集い、憩える街角がない――。若いときからそう思ってきた。

44年前(1976年)、平で発行されていたタウン誌「ぺぇべぇ」に、「いわきには“街角”がない」というタイトルで文章を書いた。今読むと、20代後半の若書きで、勝手にとがっていた。要は、パリのカフェ「フーケ」のような店が平の街角にほしい――というのが趣旨だった。

「フーケ」を持ち出したのは、たまたまエーリヒ・マリア・レマルク(1898~1970年)の小説『凱旋門』(山西英一訳、新潮文庫)を読んだからだろう。山西訳では、「フーケ」は「フーケ―」になっている。44年前の拙文でもそのように引用している。

 舞台はパリ。ナチス・ドイツにフランスが宣戦を布告する。小説の主人公のラヴィック(祖国を逃れてフランスに不法入国したドイツ人医師の偽名)と、ロシアからの亡命者モロソフが最後に交わす会話。「戦争がすんだら、フーケ―でまた会うよ。」「どっち側だ? シャン・ゼリゼーの方か、それともジョルジュ五世通の方か?」「ジョルジュ五世通の方だ。」

 フーケは、シャンゼリゼ通りとジョルジュ五世通りが交差するところにある。通りに開かれた店で、外にもテーブルとイスが置かれている。「客は外の風景をながめながら、お茶を飲んだり、おしゃべりを楽しんだり、時には歩行者と視線を交わして『ニコッ』としたり……」。フランスへ行ったことはないが、そんなカフェが平にもあったらいいな、と思った。

当時の平・本町通り――。「西から歩いてみると、とっかかりの街角は廃屋と駄菓子屋。その次が秋田銀行と帽子店、西村横丁をはさんで呉服屋、薬局、銀座通りとの交差点に楽器店、駐車場、常陽銀行、洋服店。メインの平大通りには死亡宣告を受けたような三幸デパート、洋服店、駐車場、七十七銀行。そしてまた、駐車場、駐車場……」

 今はどうなっているか。西端には空き地もあるが、ティーワンビルと公園ができた。西村横丁は拡張されてレンガ通りになり、常陽銀行の向かい側には三町目館ができた。

そして、いわき駅前の平大通り。三幸デパートは解体されて駐車場に変わり、向かい側の駐車場は富士(現みずほ)銀行になった。洋服店は、今年(2020年)春、ゲストハウス&ラウンジの店に変身した=写真上1。

店を利用した“孫”の母親は、ソフトクリームがうまい、という。日曜日(8月23日)、夏井川渓谷の隠居で土いじりをした帰り、初めて店に入った。午後1時に近かったので、冷製パスタで腹を満たしたあと、目当てのソフトクリームを食べた。パスタに載っていたキュウリ、これは焼いて軟らかくしたものらしい。冷たいパスタに温かいキュウリがよく合っていた。

店は北側(本町通り)と東側(平大通り)がガラス張りになっている。東の窓際のテーブルに陣取った。歩道に設置されている「じゃんがらからくり時計」がよく見える。記憶では偶数時間に人形が飛び出してジャンガラの太鼓と鉦(かね)を鳴らす。ところが、今は奇数時間でも人形が現れるらしい。1時になるとメロディーが流れ、人形が「チャンカ、チャンカ」と演奏を始めた=写真上2(1体は故障したのか出てこない)。

  店は料金前払いでセルフサービスだった。料理ができるまでは、通りを行く人を眺めたり、カミサンの話に生返事をしたりして待った。そう、銀行や駐車場ではなく、人の憩える街角を夢想すること半世紀近く――やっと平の街角にもフーケのような店ができたのだ。 

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