ノンフィクション作家梯久美子さんの最新刊『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川書店、2020年)を読む=写真上。4年前の2016年8月初旬、高専の同級生4人でサハリンを旅した。ノンフィクション作家は、先の終戦まで、島の南半分が日本の領土だった樺太をどう書いているのか、興味があった。
梯さんは2017年11月と翌年9月の2回、サハリンを旅した。その成果が2部構成の本になった。第1部「寝台特急、北へ」は、サハリン東部の鉄道紀行だ。第2部「『賢治の樺太』をゆく」は、樺太での宮沢賢治の足跡を車でたどった。
日ソの国境だった北緯50度の北はもちろん未知の土地だが、第2部の多くは私たちがたどったコースと重なる。本のタイトルも,賢治が樺太を「サガレン」と呼んだからだという。
しかも、2回目のガイドは私たちのときと同じミハリョフ・ワシリー(梯さんは「ワシ―リ―」と表記)だった=写真下。南サハリンの風物とワシリーの情熱を懐かしく思い出した。梯さんはそのあとまたサハリンを旅している。やはりワシリーがガイドを務めた。ワシリーに絞って書く。
「『賢治の樺太』をゆく」で、梯さんはワシリーについてこう表現している。「二度目のサハリンの三日目。この日から、宮沢賢治の樺太での足跡をたどる旅が始まった。(略)/今回のガイドのワシ―リ―さんは、独学で日本語を身につけたという六〇歳。薄めの頭髪につやつやの肌、小柄ながらとにかくエネルギッシュで、目に映るすべてを解説しようという意欲にあふれている」
こんな記述もある。「ワシ―リ―さんはとにかく博識である。ウラジオストクの北にあるウスリースクの大学で動物学と植物学を専攻したそうで、サハリンの歴史だけではなく、植生にもとても詳しい。どんな樹でも花でも、こちらが指すだけで、たちどころにロシア語と日本語の名前を教えてくれる」
私たちのサハリン旅行の目的は、1人は父親が終戦時、村長を務めていた元泊(ボストチヌイ)を訪ねること(その旅自体が父の元へ嫁いだ母親の旅をたどることになった)、私は「銀河鉄道の夜」の発想を得たとされる「賢治の樺太」をたどること、そしてヤナギランなどサハリンの自然一般に触れることだった。
ワシリーはキノコにも精通していた。「サハリンで人気のあるキノコはヤマドリタケモドキ。ほかに、ハナイグチ、アンズタケ、エノキタケ、タマゴタケ、タモギタケ、オオモミタケなどが採れる」「ハナイグチがとれるのはトドマツの林」。和名ですらすら解説する。
望外の喜び、とはこのことだ。彼はサハリン有数の「インタープリター」(自然解説者)にちがいない。「チシマザサが生えるとキノコは出ない」。これは、ミヤコザサが生えるいわきでも同じ。おかげで、サハリンではシイタケも発生する、といったことまでわかった。
これはおまけ。ロシアの旅から帰って来た4年前の8月7日はこうだった――。サハリン3泊、シベリア大陸の玄関口・ウラジオストク2泊の旅を終えていわき駅前に降り立つと、平七夕まつり(現いわき七夕まつり)に合わせて、タクシープールで盆踊りが行われていた。今年(2020年)はコロナの影響でいわき七夕まつりもいわきおどりもない。暑いだけの寂しい8月になった。
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