去年(2019年)10月12日、台風19号がいわき市を襲った。11日午後3時から13日午前6時までの39時間に、夏井川水系の川前では244.0ミリ、平では230.5ミリの雨が降った。平地の平・平窪地区を中心に、9人が死亡し、8000戸超が床上・床下浸水をした。平浄水場も浸水し、断水は約4万5400戸、いわきの世帯数の3分の1に及んだ――。
それから間もなく11カ月。夏井川渓谷と平地の境、小川・高崎の谷底(こくてい)平野先端部では重機が動いている。川岸の水田が土砂で埋まった。その除去作業だろうか。平窪の下流にある平・中塩地内では、民家の解体作業が始まった=写真。
中塩の家には知人の娘さん一家が住んでいた。2階建ての借家の1階部分が浸水した。
夏井川渓谷の隠居へ行くのに、必ず家の前の道路を通る。8月に入ると家の手前、道路沿いの非住家が解体された。次に通ると、住家の解体が始まった。今度通ると、更地になっているかもしれない。
台風から半月後、初めていつもの田んぼ道(平・神谷~中塩~平窪)から国道399号(県道小野四倉線)に抜けて、渓谷の隠居へ出かけた。行く先々で異様な光景を目にした。
中塩では、娘さんが夫たちと片付け作業をしていた。作業の邪魔になっては――と思いながらも、顔を出した。「(見舞いに)来てくれただけでうれしい」。そういってくれた。
それからしばらくして、娘さんがわが家へやって来た。「豊間の市営団地に一時的に引っ越した」。「市営団地」は津波被災者用に建てられた災害公営住宅だった。
知人とは昔、家が近所だった。わが家は男の子が2人、知人の家は女の子が2人。子どもの幼稚園が同じになったため、朝は私が子どもたちを幼稚園へ送り届け、午後は知人の奥さんが迎えに行ってくれた。
子どもたちがまだ幼稚園へ通っているうちに、私たちは平・神谷(かべや)へ引っ越した。
知人が亡くなり、通夜の席で再会して以来、娘さんとのつながりが復活した。娘さんは父親が入院中、父親が店で出していたカレーの指南を受けてレシピをまとめ、通夜の客に振る舞った。今も週末、時間限定でカレーを販売することがあるらしい。
被災地では、改修して以前のように人が住んでいる家もあるが、まだ「仮暮らし」をしている人も多いことだろう。娘さん一家もこれからどうするのか。大家さんとの話し合いでそこに家が再建されるのを待つのか、それともよそに住まいを求めるのか。今度会ったら聞いてみよう。
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