きのう(3月11日)は、一日、どんよりした気持ちで過ごした。午後はなんとなくテレビの特番を見て過ごした。やはり、こみあげるものがあった。
さて――。日曜日(3月7日)は午前中、今まで全く想定したことのないルートでマイクロツーリズムを楽しんだ。朝一番で夏井川渓谷の隠居へ行ったあと、小川の広域農道から四倉の県道白岩久之浜線に抜け、久之浜バイパス経由で国道6号を北上し、双葉郡の広野町を巡った。
隠居へ出かけたのは、この日、渓谷で配電線工事が行われ、朝7時半と夕方5時前後の2回、30分ほど停電になるからだった。隠居では冷蔵庫と水道(井戸水)だけ、常時、電気をオンにしている。こたつや電気マット、ラジオは、隠居を離れるときにはコンセントを抜く。
朝の停電後、隠居に着くように家を出た。冷蔵庫も水道も異常はなかった。これなら、夕方また確かめに来る必要はない。なんの心配もなく広野町へ行くことができる。
目的は二ツ沼総合公園内のパークギャラリーで、3月末まで開かれている「東日本大震災・原発事故 広野町アーカイブ展」だ。
三角形の2辺を進むように、平のマチへ出て国道6号を北上すると、1時間はかかる。二ツ箭山腹を縫って四倉へ抜け、さらに常磐道いわき四倉ICと久之浜を結ぶ県道を利用すれば、広野町まではすぐだ。三角形の底辺のような直行ルートのおかげで、渓谷からわずか30分ほどで久之浜のはずれに着いた。
アーカイブ展=写真=では係員が解説してくれた。広野の10年がパネルでわかりやすく表現されていた。目の前にある直売所にも寄った。広野産のミカンジャムや真っ赤な梅干し、生花などを買った。
そのあと昼まで少し時間があるので、JR常磐線広野駅周辺をドライブした。広野町は双葉郡内ではいち早く、役場機能を町に戻した。駅の東(海側)には6階建ての大きなビルが立っている。「広野みらいオフィス」とあった。まだ空き地が目立つが、一帯は都市機能を持たせたエリアになるらしい。
駅前(山側)の旧道(浜街道)に戻ったとき、北迫(きたば)川のそばに歯科医院があったのを思い出す。
奥方とカミサンが古着を介してつながっている。震災前はときどき、ご主人が沖から釣って来たというスズキを持参した。それで三枚におろすのを覚えた。
震災では自宅が大規模半壊になった。津波も床下まで来た。原発事故の影響で広野が一時、全町避難をすると、空き巣に入られた。3・11から4カ月後、捨てるしかないというので、古着を引き取りに行った。
ご主人は、今は福島市で歯科医院を営んでいる。2014年7月には町から請われて、3年4カ月ぶりに広野で歯科医院を再開した。休診日(木曜日)に福島から通っている。今は週2日になった。
自宅跡地にその歯科医院が立っていた。隣の空き地で草刈り機を操っている女性がいた。奥方? カミサンが声をかけると、そうだった。草刈り機を操れるとは!
今は東京から戻り、久之浜でご主人の親の世話をしている。広野の自宅へは久之浜から通っているのだという。
広野の自宅には、わが家を経由してもらわれていった猫のリンがいた。震災で一度離ればなれになったのが奇跡的に再会し、そのあとまた家出してそれっきりになったという。
奥方との久しぶりの再会を楽しんだあと、町役場前の「ひろのてらす」に入居している中華料理店「かなめ」でラーメンを食べた。平中神谷で修業した若い人が経営している。繁盛しているようでよかった。
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